マイ・フェア・レディ
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階級社会はきつい
下層民に上流の英語を教えて、貴族社会で通用する女に仕立て上げる。その過程で恋をする。源氏物語が想起されるが、どっちにしても現代日本では現実味のない舞台設定だ。
階級社会の肌感覚は、どうしても分からない。日本にこの設定をあてめれば、被差別部落出身者の言葉使いを東大の国語学教授が指導する、といったところか。でも現代において被差別部落に生まれた人が東大に合格することはもちろん、教授になることだってありうる。それだけ日本は差別のない、いい国になっている。
イギリスに行った時、黒人女性が見せた差別的視線を忘れられない。貧乏くさい身なりの黄色人種が、ケガした膝に不思議な色の薬を塗っていた。そこに注がれた眼つきが蔑みの色を含んでいて、なんでそんなあからさまに人を見下す眼をできるのかと考えてしまった。
日本では同和教育がうまく機能したのか、あからさまな出自による差別に直面することはほぼない。外国の肌の色による差別のような、明らかな差別がないんで、日本の差別はなんとかできると思う。
人を見る目は、自分が見られる目の反映だ。おそらくイギリスは、黒人が蔑まれる目で見られるのだろう。見られた黒人は、その目で人を見る。そんな事情を知らない黄色人種が、たまたまその眼に出くわして、嫌な思いを勝手にしてしまった。
人を見下げてうれしいのか? 自分自身を振り返って、確かに子供の頃は何か買ってもらったり、遠くに旅行に行ったりしたら、友達に話した。それが自慢だったのかどうか、子どもの時の気持ちは確かめようがないが、自分のうれしさを話して伝えた、楽しかったことを話したというのは、自慢した、人より優位にある自分を誇示して喜んだ、ということだ。
下層民が言葉を繕って上流の社交界に遊びたいと思ったり、知識層が下層民を正してやろうと思ったり、そんな、人をうらやんだり、かわいそうと思ったり、他者と自分が上下にあることのない世の中がくることを願う。
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