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人間讃歌としての[光景]─篠澤広と「育成」─
こんにちは、アリアです。
コントラスト1位を取った直後から、体調を崩しまくっています。
たすけてプロデューサー……。
さて、以前「なぜ篠澤広にハマったのか」を記事にすると申しておりました。
今回コントラスト実装、そして、コントラストのシナリオが親愛度10コミュの読破を前提としていそうなことから、篠澤広という人間及びシナリオについてを書き連ねていこうと思います。
コントラストに関してはまだガシャ期間なので、シナリオ・歌詞等については一切触れません(ただし、本記事を読んでからコントラストを聴くとそれなりに解釈が変わる部分が出てしまうかもしれません)。
あくまで[光景]時点での篠澤広というアイドル、篠澤広という「人間」についてを述べていきます。
※本記事は親愛度10のネタバレを含みます。親愛度10コミュを未読の方は絶対に読まないことをお勧めします。
また、この解釈は私個人の視点による現段階のものに過ぎず、確固たる論拠に基づくものでもこれ以外の解釈を否定するものでもありません。
皆さまが「篠澤広」というアイドルの魅力について再考する1つのきっかけ、視座になれば幸いです。
第一印象ときっかけ
そもそも、篠澤広は私にとって「学園アイドルマスター」というゲームを始めたきっかけでもあります。
(引用:アイドルマスターチャンネル)
篠澤広をプロデュースしようと思ったきっかけに作中プロデューサーのような高尚なものはありません。
Twitterで拡散されたレッスン着を着用した篠澤のあまりの細さ。
「苦しいのが好き」というマゾヒズム的表象に加えて14歳で大学卒業という経歴。
誰が見ても「奇人変人の類」とわかるキャラクター。
それら全てが「キャラクター」であり、シャニマスやプロセカ(他ブランドの名前を出すことをご了承ください)で描かれてきた「人間」と大きくかけ離れていたこと。
幸いなことにどの要素にもある程度の知識があったこと。
これらのことから、当初は「篠澤広」を1人のキャラクターとしか捉えておらず、彼女を「好き」だとか「プロデュースしたい」と思ったことはありません。
ここまで安易な表象をされるキャラクターが一体どのような描写をされるのか。
それこそ「お試し契約」のような気持ちで彼女を担当にして、シナリオの全貌を確かめることに決めました。
〜親愛度4
学園アイドルマスターというゲームはローグライトに分類されるゲームです。
1周ごとにゲーム内要素が解放され、それに応じて理解度も上昇し、成長が実感できるシステムになっています。
この中で1つ大きな壁になるのが親愛度5条件の「中間試験1位突破」です。
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シナリオもそれに応じて区分けされています。
親愛度4までのコミュでは徹底して彼女の表象のみが描かれます。
学力の高さ、歌唱・運動能力のなさ、苦しみを渇望する姿はまさしくPVそのもの。
この時点ではさして惹かれるものもありませんでした。
むしろ特筆すべきはゲーム部分。
デッキ構築ローグライトのゲームとしては非常に面白く、課金要素のサポートカードも周回中の楽しさには影響が少ないこと。ゲームの性のおかげで、狂ったように篠澤広をプロデュースしていました。
親愛度5
さて、その鬼門の中間試験を1位クリアして見られるコミュ、親愛度5コミュで篠澤はこんなことを宣います。
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ああ……ようやくわかった(なんもわかってない)。
ここまでプロデュースしても、一見するだけではよくわからない彼女の動機。
それを言語化し、読者へと噛み砕く語り部としてのプロデューサー。
このコミュを見た時に、「篠澤広」というキャラクターに対して向けていた無機質な視線が熱を帯び始めました。
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1.専門としてでなく、楽しみとして愛好する事柄。
(引用:学園アイドルマスター 篠澤広 親愛度5コミュ)
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(引用:学園アイドルマスター 篠澤広 親愛度5コミュ)
プロデューサーの選択肢は1つ。「彼女の選択」の肯定のみです。
「趣味が夢に劣るものではない」と言ってのけ、彼女の言葉を引用して自らの動機も「趣味」であると宣言します。

(引用:学園アイドルマスター 篠澤広 親愛度5コミュ)
しかし、この段階でも私たち(以後、読者と呼称する)には不明瞭なことが多すぎます。
親愛度5で読者に開示された情報はPVでも明かされ、[光景]の固有カード名にもなっている「本気の趣味」の含意のみ。
プロデューサーという語り部と理解者を兼ねる存在が読者に開示するものでしか、読者は「篠澤広」という人間を垣間見ることができません。
親愛度5コミュでみなさんがどのような感想を抱いたかは当然読者個々人に委ねられています。
私はこの段階で、篠澤広は「人生のメインクエストを終えた人間」だと思っていました。
過去noteでもつらつらと書いてきたように、私は子どもの頃から抱いていた夢をそれなりの形で達成し、それなりに暮らしています。
一個人があまり担当アイドルに自分を重ね合わせるのも良くないとは思いますが、私の中の篠澤広は「人生の目標」がなくなった後の「人間」として、緻密に描画されていました。
夢を達成した後の人生に起伏を渇望して、苦しいほど楽しいと思う心地は我が身に置き換えていいならよく理解できたからです。
親愛度6〜8
ゲームシステム上、すぐ上がれるであろう親愛度6〜8です。特に親愛度6は中間試験1位突破後すぐに見られることもままあります。
ただ、ここに到達する頃には初星課題達成のために他アイドルに寄り道をすることも多々あるはずです。私はこの時は篠澤広に集中していたため、他アイドルのコミュは全て見ていませんでした……ごめんなさい……。
親愛度6〜7は準備運動(集中3)のようなコミュです。
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(引用:学園アイドルマスター 篠澤広 親愛度7コミュ)
親愛度8では同じく補習組であった佑芽さんのライブを観覧しにいきます。
自他を俯瞰して合理的に評価を下すことのできる篠澤は友達である佑芽さんの目覚ましい成長ぶりも織り込み済みのように、達観した台詞を発します。
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ですが、「理解者」であるプロデューサーの問いの真意を汲み取った篠澤は自身に向き合い、初めて「感情」を出します。
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(引用:学園アイドルマスター 篠澤広 親愛度8コミュ)
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注目すべきは「負けたり」という表現です。
「たり」という言葉は基本的に「〜たり、〜たり」と2つ以上の物事を並べる際に用いられます。
少しメタな話になりますが、感嘆符の後の一文字スペース、三点リーダーの個数など文章の記法を小説準拠にしておきながらここでわざわざ「たり」を誤用(とされることもある)の形で使うことには意図があると思っています。
ここで欠損している言葉は間違いなく「勝ったり」です。咲季さんや佑芽さんのコミュを見れば一目瞭然ですが、花海姉妹は勝負の世界で生きています。
「友達」である篠澤に少なくない影響を佑芽さんは与えているでしょうし、ここで出す言葉としては「勝ったり負けたり」の方が極めて自然です。
このことからも篠澤は現在(親愛度8時点)まで、そもそも「勝負」というもの自体と無縁であったことが窺えます。
学問に関して無比の能力を持つ彼女は、誰との競争に置かれることもなく。それゆえに人生全てに「勝負」という規準がなかった。
「向いてないこと」に挑戦することで、ようやく彼女の人生には「勝負」が生まれたのです。
親愛度9・[光景]3話・True
さて、学園アイドルマスターには褒めるべき点が多々ありますがその最たる点の1つは、開始時にPアイドルのSSRを選べることでしょう。
プロモーションとしての側面もあるとは思いますが、親愛度9コミュの直後に各アイドル固有楽曲のMV・コミュに直結するのがゲーム体験としてかなり良いものになっています。
親愛度9の達成条件は「最終試験の1位突破」。
最初のアイドルであればほぼ確実に、これと同時にTrueの条件を満たします。
篠澤の親愛度9コミュでは、篠澤に次の日のライブのセッティングを無茶振りされたプロデューサーとの舞台裏でのやり取りが繰り広げられます。
篠澤がプロデューサーに友達がいないと勝手に思い込んでいたことや、プロデューサーのことを「友達」だと思っていたことなどがコミカルに描写されます。
ここでも一貫して「プロデューサーと篠澤」の世界が繰り広げられ、二人が共通して立っている土台は読者に明かされません。
これもまた皆さまの読解により変わると思いますが、おそらく篠澤も、そのプロデューサーも「奇人変人の類」だという認識は変わらなかったのではないかと思います。
篠澤広の「人間」的な側面は一貫して、プロデューサーという語り部を通してのみ伝わります(篠澤コミュでは心内描写がほぼ存在しません)。
彼女の人間性は陽の差したステンドグラスのように、柔らかく乱反射して燦爛と輝きます。
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(引用:学園アイドルマスター 篠澤広 育成コミュ 賢馬ハンス)
親愛度9に接続するように始まる光景3話では、初めての曲とそれを熱望するファンに対する篠澤の本音が漏れ出ます。
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きっと誰の支持も得られないだろうと思っていた彼女の予測を大幅に覆した、光景を目にして。
(引用:学園アイドルマスター 篠澤広 光景 第3話)
そして、光景のライブが終わればコミュはTrueへと接続します。
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(引用:学園アイドルマスター 篠澤広 True End)
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(引用:学園アイドルマスター 篠澤広 True End)
このコミュでのプロデューサーの印象的な台詞に「当時の直感を、言語化することは難しい」というのがあります。
私も同様です。なぜ、篠澤広という「キャラクター」に惹かれ、篠澤広という「人間」に引き込まれていったのか、もはや今では脚色なしに語ることはできません。
なぜなら、このコミュに辿り着くまでには幾度もの失敗があるからです。
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(引用:学園アイドルマスター 篠澤広 B end)
特に最初の担当アイドルは最終試験2位・3位や不合格も少なくないでしょう。
辛苦も幸楽も寄り添い続けた彼女との日々の後に、当時の感覚を残したまま言語化することなど不可能です。
そこから飛び出すプロデューサーの一言。
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ここに至って、プロデューサーと読者は同じ土俵に立ちます。
当然ながら学園アイドルマスターはゲームであり、余暇として空き時間にプレイする方がほとんどでしょう。
担当アイドルを輝かせるのは楽しいですが、それが実際の出来事のような現実感を伴うことはありません。ましてや人生の夢になんてならないでしょう。
だからこそ、プロデューサーのこの一言は第四の壁を壊すほどの熱量を持って読者に放たれます。
「天才」篠澤広に力添えをする「奇人」プロデューサー。
どちらにも感情移入が難しかったであろう読者は、ここに至って篠澤広をプロデュースしようと決めた「変わり者」=プロデューサーとして物語に登壇します。
直前の選択肢も相まって、読者は改めて自身の決断が誤りでなかったことを作中のプロデューサーと共に再確認することになります(これ以後プロデューサーという語は「作中内プロデューサー」「読者」双方を指します)。
プロデューサーの告白のような言葉を受け、篠澤広も「ずっと、一緒にいようね」と返して物語は一旦幕を降ろします。
True End〜
さて、Trueは以上のような形で終わります。
しかし、なぜか全てのコミュが解放されていません。
立ちはだかるのは「A+」という非常に大きな壁です。
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プロデュースを繰り返すたび、プロデューサーとして成長し、何が良くて何が悪いかを習得していきますが、その中で1つの疑問が生じてきます。
それは
篠澤広に向いてないことはたくさんあるのにどうしてわざわざアイドルを選んだのか。
という問いです。
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誰もがこう思うかと言われたら疑問符だが、一定数こう思うプロデューサーもいたはず。
True Endと親愛度10には大きな隔たりがあります。特にそれが初めて育成するアイドルなら尚更。
課金額にもよりますが、よっぽどでもなければおそらく最低でも3日はかかるはずです。私がそうでしたし。
長くはないですが、短くもない期間ずっと担当アイドルの親愛度が1足りない。きっと、何かあるのに。そんな焦燥の中でひたすらプロデュースを続けていました。もがくような時間です。
ランキングのせいでどんどんA+が増えていく様も見せつけられ、早く見ねば早く見ねばと苦しんでいました。
親愛度10
訪れは唐突でした。
当時は最終試験のスコアで決まるということも知らず、ステータスが全てだと思っていたので「なんか出た」の感想しかありませんでした。
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初A+が誰であれこの瞬間は記録したんじゃないでしょうか。
おそらくみなさん、来るべき親愛度10に身構えたはずです。
私も最大限身構えました。
身構えました。
破壊されました。全て。
コミュの全貌・画像に関して出典を明記しても親愛度10は掲載が憚られるので、ここからは逐次皆さまで参照しながら読んでほしいです。
先述の通り「天才と奇人」譚であったはずの篠澤広とプロデューサーの物語は、「篠澤広と私たちプロデューサー」の経験譚に変質しました。
True後に再提示される今までのコミュは味わいが変化します。
それでも、決して解消されない1つの謎。
親愛度10コミュの中で篠澤から質問されたことを皮切りに、プロデューサーはそれをついに口にします。
「なぜ、アイドルだったんですか?」
これはプロデューサーの心からの疑問でしょう。
元も子もないですが絶対にアスリートの方が向いてないです。というか学業関連以外で向いていることを見つける方が難しいです。
彼女が列挙する理由は非常に筋が通っていますが、やはり「アイドル」でなければならない理由はありません。むしろ列挙できることが逆にその理由を「後付け」のように思わせます。
そして、ついに篠澤広の口からも語られる本音。
「かわいくなりたかった」
この記事を執筆している今も涙が止まりません。篠澤広が口にした願いはあまりにも単純で普遍的で一般的な、等身大の「人間」のそれです。
私たちプロデューサーは苦難の先にたどり着いた親愛度10にして初めて、篠澤広の本当の願いを知るのです。
親愛度10以後
さて、篠澤広のシナリオは親愛度10以降に新規に解禁されるものはありません。
ですが、親愛度10で出される情報により全てのコミュが味を変えます。
親愛度10を読むまで私は篠澤広のことを全く理解していませんでした。もちろん今も全てを理解しているわけではありませんが。
人生を周回プレイしたかのような頭脳、視野。15歳とは思えない達観した思考。
彼女のそれら全てを「人間味のあるキャラクター性」として噛み砕いていました。
もちろん先述の通り人間性は描かれているものの、盛りに盛られた属性故に「キャラクター」としての一面は篠澤広から切り離せないものだと思い込んでいました。
ですが、それが誤りでした。
篠澤広は紛れもなく「人間」でした。
彼女を「キャラクター」たらしめていた、安易に見える表象も大仰に思える経歴も全ては彼女の人間性と通底していたのです。
持つ者・持たざる者
さて、今までは時系列に沿って篠澤と歩んできましたが、ここから一気に話の舵取りを変えましょう。
この現実世界には当然ながら「持つ者」と「持たざる者」の二者が存在します。個人主義の進んだ現代において何を「持つ」と定義するかは個々人に依存しますが、現代においては「外見」と「頭脳」の二つが主流だと私は思っています。
金銭や家庭環境も大きな差だとは思いますが、先述した二点は「家庭内でも区分される」という点において、一線を画していると思います。
話を篠澤に戻しましょう。
篠澤広は頭脳に関して間違いなく「持つ者」です。そして、篠澤はそれを自覚しています。彼女自身の言葉にあるように「褒められ」てばかりいる人生であったくらい。
ですが、その賞賛に彼女を震わせる熱があったかというと間違いなく答えはNoです。
私たちからすれば片足立ちを褒められているようなものです。何の努力も実感もない功績を賞賛されても虚飾でしかありません。
簡単で退屈な日々。
この字面でも淡白ですが「成功体験と成長経験の欠如」とでも換言すれば、より彼女の人生のつまらなさが際立つでしょうか。
先に述べた二点と照らし合わせるならば。
篠澤広という「人間」は先天的に頭脳が傑出し過ぎていたために、他のこと、とりわけ「外見」について褒められるという経験が欠如していたのではないでしょうか。
同年代に囲まれることもなく、学問にまみれている日々では「外見」という要素は遠く奥へと追いやられていきます。大学生から見れば一回り近く離れているわけですし、外見という要素に触れるのは尚更憚られるでしょう。加えて、友達がいないのであれば当然「恋愛」も自身の生活とはかけ離れた絵空事です。恋愛がなければ外見に焦点が当たることもないでしょう。
14歳、大学卒業という肩書きを得た彼女が大学院に進めないはずはありません。卒業という節目を迎えた時に、彼女が抱いた感情は一体何だったのでしょうか。
「持つ者」として歩んできた彼女が、ふと「外見」という褒められたことのない要素をコンプレックスに感じたのだとしたら。
普遍的に生きていれば、きっと褒め言葉の1つとして自分の人生にあったであろう「かわいい」という言葉の欠損に気づいたとしたら。
──篠澤広の大仰な経歴など「処分」するべきものでしかありません。
親愛度5コミュの時点で作中プロデューサーはこのことを感じ取っているはずです。でなければ、彼女の経歴を使わない決断、資料を処分する決断はあそこまで早く下せません。
親愛度5〜9までの読者と作中プロデューサーの乖離はここに原因があります。
彼女に対する賞賛には「頭脳」という先天的な「持つ者」としての武器が入ってはいけない。
そうなってしまっては篠澤広がアイドルを選び取った意味がなくなってしまう。
作中プロデューサーは誰よりも早くそのことに気づいているわけです。
「篠澤広」の育て直し
さて、前項で篠澤広が自身の人生における成功体験・「外見」に関わる褒め言葉の欠如をコンプレックスとして認識した可能性を指摘しました。
そうすると苦しさ自体を目的とする彼女の原理にも結びついてきます。
彼女には「努力の成果としての成功体験」ではなく「成功体験を得るための努力」が欠けています。
篠澤が欲しているのは成功体験それ自体ではなくそこに至る努力・苦しみでしかありません。
無類の頭脳のせいで持ち得なかった普遍的感情、それを補うことが彼女の目的です。
自身を低く評価する眼差しを求めるのも、他の全ての欠点に目を向けられていなかった過去に対する1つの反抗です。
もちろん、これ自体は紛れもない倒錯です。
そして、他でもない篠澤広がこの倒錯に気づかないはずもないでしょう。
倒錯であると自覚しながらも彼女は向いていないことをせざるを得ません。
なぜなら、彼女は自分の欠落のことを客観的によく理解しているからです。
自分が満たされるためには向いていないことをしなければいけない。そして、それが「かわいい」に繋がらなくてはいけない。
いつどこでなにを目にしたのかはわかりませんが、きっと彼女が目にした「アイドル」はそれら全てを満たす天職だったはずです。
人間、そしてアイドルとしての「篠澤広」は自分が数段飛ばしで駆け上がった発達段階を取り戻すために、自分自身を育て直すことを選びとったのです。
そして、その「篠澤広」の育て直しを担ったのは──。
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恋愛と換喩
さて、最後にこれにも触れなければいけません。篠澤が「かわいい」の欠如をコンプレックスとしていたとするならば、彼女のプロデューサーに対する「好みだった?」等の発言と辻褄が合わなくなります。
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好意の発露自体には篠澤は抵抗がありません。むしろ積極的に本人から行っています。ですが、外見に対する褒め言葉は大抵「好み」へと換言されています。
プロデューサーが直球の言葉で褒めると落ち込むどころか照れて頬を染めます(本来これが普遍的ですが)。
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(引用:学園アイドルマスター 篠澤広 育成コミュ 気になる様子)
プロデューサーの好みであることは主張できても客観的に「かわいい」と主張することはできない。この辺りにも篠澤のコンプレックスの発露は見て取れると思っています。
親愛度コミュを見ていただければ分かる通り、このシナリオにおけるプロデューサーは篠澤の根底の願いを見通す程に洞察力があり、彼女の言葉に(少なくとも恋愛的には)振り回されることがありません。
篠澤もそのことに気づいているからこそ軽率に恋愛的な文脈の言葉を露呈できるのだと思っています。
そして、プロデューサーは彼女の言葉が持つ含意も、願意もよくわかっています。
彼女が渇望していることは「篠澤広」という人間の育て直し。
であれば、「思春期の恋愛」という行為自体に特別な感情を持っていてもおかしくないでしょう。
プロデューサーがわざわざ彼女の言葉を訂正しないのは、彼女の人生のやり直しがそこに詰まっていると理解しているからなのではないでしょうか。
「あと半年」という虚構と「元気になった」という真実
話は親愛度10に戻ります。
親愛度10コミュには1つ引っかかる点があります。それは「あと半年、よろしくお願いします」に対して篠澤が「それなら、ずっと、楽しいね」と返す一幕です。「半年」という期間に対して「ずっと」という返答は少し噛み合っていません。
ここの「あと半年、よろしくお願いします」は見ていただければ分かる通り「選択肢」です。
ノベルゲームとしての学園アイドルマスターは「選択する」ということに対して真摯です。
つまり、ここで私たちプロデューサーは「意図的に」篠澤に対して半年という期間を押しつける役割を担わされているわけです。
半年後は学年の区切れ目。おそらく、そこでプロデュースの契約を更新するかしないかの手続きがあるのでしょう。
ですが、直前にプロデューサーは「お試し契約」などない、と篠澤及び私たち読者に対して自身の偽りを晒したばかり。
よって、ここの「半年」は虚構と解釈して問題ないと思っています。
私たちプロデューサーも「半年」で終わらせる気など全くないでしょう。
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いつも忌憚のない意見を述べるプロデューサーが、出会いの時点で嘘をついていたことは篠澤にとっても予想外だったはず。
(引用:学園アイドルマスター 篠澤広 育成コミュ おでかけ クッキー)
ですので、この「半年」という期間は半年後に見限りうる可能性を篠澤に提示しただけ。
実際、「お試し契約」期間に幾度となくマンスリーミッションを達成できないながらも見限られなかった篠澤は半年後に見限られるということがないであろうことを見抜いているはずです。
その上でプロデューサーは篠澤を見限る可能性を虚構として提示します。ほんのひと匙、彼女の未来に不確定な要素を混ぜ込むために。
そして、篠澤はその虚構から自身の渇望していた、欠落を埋める最後のピース"ずっと続く愛しき日々"を受け取ります。
篠澤広の中で両立し得ないはずだった"安定も安泰もない、ままならない日々"と"ずっと続く愛しき日々"。
プロデューサーという理解者に触れることで、初めて篠澤広は──。
「元気になった」は字義通りではなく、自分の人生のやり直し、欠損にまつわるコンプレックスの解消の換喩として。
「デートの続き」も字義通りではなく、自分の人生を取り戻してくれた人との愛しき日(date)への祝詞として。
常人であれば、普遍的な人生を歩んでいれば、抱いて当然の「かわいくなりたい」という願いすら恥じらってしまう「天才」篠澤広は、プロデューサーと共に「辛楽と幸苦」を歩み、自身の育て直しに成功したのです。
人間讃歌としての[光景]
光景という楽曲は篠澤広の初めての曲として彼女自身も「人生で一番嬉しい」と評しています。
実際この楽曲に関しては、様々な解釈の余地があります。
一論考としてこのnoteを読んだあとにみなさんでじっくり聴き返してみてほしいです。
私から例示するならば、MVの系統樹。「かわいいもの」の系統樹は大抵そこで途切れています。
シナリオ内での光景という楽曲の本質は第3話のプロデューサーの言葉である
「価値観が揺らいで、不安ですか?」
そして、それに対する篠澤の回答が全てだと思っています。
おわりに
抜きん出て発達した頭脳。
「持つ者」の代償としての欠損。
賞賛されてこなかった先天的要素に対する苦悩。
「持つ者」として描かれていながら尚。
「持たざる者」への人間讃歌としての[光景]を携えて──
篠澤広は、私たちに呼びかけてくるのです。
「人生は一度きりなんだ」
ありがとう。篠澤広。