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母と暮せば 2024

思いが溢れてどうしようもないので書きました。思いの丈を綴ったので感想を書くまでが長いです。
※ネタバレあります。

はじめに

松下洸平さんをスカーレットで知った5年前。色々調べていくと「読売演劇大賞優秀男優賞」「杉村春子賞」を受賞していることを知った。受賞には「スリルミー」と「母を暮せば」での演技が評価されたとあり、スカーレットでの繊細な目の演技に魅了されていた私はこの2つの舞台を観れなかったことが残念でならなかった。特に「母と暮せば」は地元でも公演があったらしくその気持ちは更に増していたので、衛星劇場で2018年版の配信があると知った時は迷わず購入し視聴した。1人で観ているので人目を気にすることなく鼻水ダラダラで嗚咽してしばらく放心状態になったのを覚えている。
その後、2021年の再演ではコロナ禍であり勤務先のことを考え観劇するのを断念し、これも衛星劇場での配信を視聴。少し大人になった浩二と怒りに震える伸子さんにこれまた号泣し、実際にこの舞台を見たかったなぁと残念だけれど諦めていた3年前であった。

再々演決定と当日まで

そして今年、なんと再々演のお知らせが舞い込んできたのだ。私は5年越しの思いを叶えることができると小躍りした。チケットは今年から入っているやっこ会で確実に1公演は取れると安心していたが、他からは1公演のみしか取れず、合計2公演を鑑賞できることになった。昨年の「闇に咲く花」は3公演取れたので人気が出るとチケットは簡単には手に入らなくなることを実感。
さて、その2日間は連日だったのでその日に向けて健康管理に気をつけて風邪を引かないように鼻うがいまで手を出した私。今年の夏のイベントはこの2日間がメインであった。
いよいよ当日。劇場に無事に着くまでは油断ができない。安全運転を心がけ、駐車場も少々お高いけれど治安的によい場所に停め、電車に乗る。きっと私の様にこのお芝居を楽しみに色々調整した人はたくさんいると思う。再々演ということで今後このお二人でお芝居が上演されるかは分からないと思うと気合い十分。サザンシアターへの通路を歩き、さあいよいよ劇場だ。

「母と暮せば」感想

初日は8列目下手側、2日目は14列目下手側。どちらも段差があり見やすい席だった。「母と暮せば」の文字が書かれた薄い布越しに舞台が見えた。映像で何度も見たちゃぶ台、台所。浩ちゃんの写真は角度的に見えなかったのが残念だった。蝋燭に火が灯り、開演の時間になると台所に後ろ向きで立つ伸子さんが見え、会場がしんとする。

伸子さんの冒頭の独り言は思ったより声が張っていない。私達にでなく写真の浩ちゃんに向かって話してるからだろう。そして階段の上に浩ちゃんが登場する。背中からくるりと前を向く。今回は裸足だ。なぜ裸足になったのかはわからないので是非知りたいところである。
「僕だよ」優しい声が響く。浩ちゃんは立ち姿が美しく七三に分けた髪が印象的。文化祭のくだりはコミカルだけれど、伸子さんが笑った後の「母さんが笑うと僕も幸せになるとよ」の言葉で目が潤んでしまった。この後も浩ちゃんは母を気遣う。浩ちゃんの母を心配する言葉が優しくて優しくて泣けた。母さんが大好きなんだと伝わる度にもう死んでしまっていることを思い出し泣けてしまう。
そして、幽霊だと分かっていても息子に会えた喜びに溢れている伸子さんの表情に自分も同じ様な気持ちになっていることに気付く。だけどかわいい一人息子に会えた喜びはすぐ現実に戻される。2人の会話はとても自然でテンポも心地よく、ユーモラスなのに何だか辛くなる。
映像で見た前回の伸子さんからは激しい怒りが伝わってきたが今回実際に見た伸子さんからは強い怒りが静かに伝わってきたように思う。前作は実際に劇場で観ていないので、それは観ている私の側の受け止め方なのか今回の演出なのかはわからない。映像と劇場とでは何か違うのかも知れない。

映像で見た時に嗚咽したおむすびのくだりはこのお芝居で一番心に残っているシーンである。おむすびとお味噌汁を食べている時の嬉しそうな浩ちゃんとそれを見つめている伸子さん。現実はもう食べられないし食べさせてあげられない。実際におむすびとお味噌汁を食べていた幸せな記憶がそこにあって、幸せに見えるシーンが残酷な現実をより際立たせて涙が止まらなかった。今でも思い出すと涙が込み上げる。

産婆の仕事をやめたことを浩ちゃんに聞かれ少しずつ話し始める伸子さんの言葉に胸がえぐられる。恥ずかしながらABCC のことや被爆者への偏見はこの舞台を通して知った。呻くような声とともに「偏見たい」と叫ぶ浩ちゃんの声が忘れられない。人間の残酷さは誰にでも生まれるものだと心の中を見透かされた気がした。

焼かれて苦しむ浩ちゃんのシーンは見ていて顔がゆがむ。「母さんにもう一度だけ会いたか」が前半の仲睦まじい2人を見ているからこそ自分事の様に辛くなる。一瞬で幸せな時間を奪われたこの親子のような人がいったい何人いたのだろう。そして今の世界の情勢に思いを巡らせた。

パンフレットで作者の畑澤聖悟さんが「『母を暮せば』は生命を生ましめる「手の物語」でなくてはならない」と語られていたが、この舞台では確かに手が印象的だった。伸子さんのおむすびを握る手。婚約者の靴紐をほどく町子さんの手。助産師のおばあちゃんの手。母さんの背中にそっと置く浩ちゃんの手。手当てという言葉があるくらい、手とは心を伝えることのできるものなのだという気づきをもらった。

最後、病院に行くことを浩ちゃんに約束し、代わりに毎日ずっとここにいて笑わせてほしいと懇願する伸子さんには泣かされた。幽霊でもいい、いてほしいと思う母の心と、そんな母に向ける「ぼくは死んどるとよ」と言う浩ちゃんの表情が切なくてしょうがなかった。「ずっと母さんを見守っとるとよ」と伝えて浩ちゃんが消えていくラストに、声が漏れるのを必死に耐え泣きながら見ていた。
目が覚めた伸子さんを見つめる浩ちゃんの表情は、初演、再演、再々演すべて違っていたと思う。初演は前向きになった母に少し微笑んだけれど、再演は心配してるようにも無表情にも見えた。今回の表情は祈るように見つめていた様に感じた。人それぞれに感じ方はあるだろうが私にはそう見えた。

おわりに

今回2回観ることができたが、どちらも終演後にいい意味で心がぐったりしてしまった。演者お二人の熱量を感じた90分の間、観ている私達は集中し、たくさんの感情を90分間受け止めていたのだろう。観客と演者が作り上げた幸せな空間だったなと思う。とにかく心が震える素晴らしい舞台だった。再々演に感謝しかない。


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