わたし
たまには自分の事を書こうと思う。
わたしは双極性障害Ⅱ型であり、まあまあな不眠症である。
初めて心療内科を受診した時のことは鮮明に覚えている。
自分にとってとても大切な記念日、大切な人の誕生日だったからだ。
池袋にあるメンタルクリニックで、そこがとんでもなくヤバイところだった。
確か診断はPTSDと抑うつだったかな?
震災で父を亡くして1年経っていた頃だ。
なぜかデパスを1ミリ飲まされ(調べたが0.5ミリから始めるはず……)カウンセリングを受けて、そのときは自分でもひくぐらい泣いた。思っていたことを思いきり話した。カウンセラーは傾聴タイプの若い女の人で、話しやすかった。と、思う。
そのあと先生と対面したとき、正直びっくりした。
あのKing Gnu井口も影響を受けたという、尾崎紀世彦そっくりで、黒のワイシャツによれよれのパンツ、白髪の長髪を結ってて、肩はフケだらけだった。汚い…そう思った。白衣とか着てるイメージだったから拍子抜けした。
それで何やら紙に赤と黒のボールペンでぐちゃぐちゃ脳の構造がどうとか今の状態はこうとか書いてくれたけど字が汚いしさっきも書いたがぐちゃぐちゃなのでさっぱり意味が分からなかった。
診察が終わってからおそらく薬剤師であろう、ワタシキレイでしょと言わんばかりのまるで成功者のような美人が複数の薬を出してきた。抗うつ剤、安定剤、眠剤、7種類ぐらいあった記憶がある。その場で抗うつ剤を飲むように言われて飲んだ。そして帰りの電車で立っていられないほどの眠気に襲われて、ぐっすり眠ってしまった。終点の大宮まで行ってしまった。
その抗うつ剤は数日で驚くほど効果を発揮して(今思うと躁転していたんだと思うが……)次の受診日を待たずに予約をして、先生、わたし治りました、と言った。そんなわけないんだけど。敢えて名前は伏せるが、抗うつ効果は確かにあるけれど、副作用でめちゃくちゃ眠くなるし太る薬で、太らないように別の薬も処方された。
そこのクリニックをやめようと思ったのは、最近どう?と聞かれて、生理痛がひどいと言ったらじゃあロキソニン出すね、花粉症が辛いと言うとじゃあ抗ヒスタミン剤出すね、そう簡単に言われた事で信用できなくなってきた事と、わたしの実家が複雑な環境だったことは話してあったが、実家に帰らなければならない用事ができた時によく分からず全力で止められた事(恐らく転院を阻止したかったんだと思う。わたしは薬をたくさん飲む金ヅル患者の1人だった)、がきっかけだった。
何でもかんでも薬薬薬、見事な薬漬け。二度と行くものか、そう思って評判がいい別の心療内科に転院した。そこでお薬手帳を見せたら、いくら何でも飲みすぎですよ……と言われた。その先生は見た目からしてなんだろう、清潔なちょっぴり太めの優しそうな初老の男の先生。そしてすごくすごく物腰の柔らかい先生で、話してて落ち着いた。
薬は1種類だけになって、不眠についても睡眠の記録をつけることで対応しましょうと言われて、それが功を成したのか、わたしの精神状態は改善したかのように思えた。
それから人生の岐路と言っても過言ではない大きなイベントがあった。遠くへ引っ越して、これから頑張らないと、となった。不安もあったから一応転院先は県で一番大きい病院の心療内科にした。その後はがむしゃらに働いて成績優秀者で表彰されたりした。
寝る時間を削って毎日仕事に趣味に飲みに、と動いていたし、将来の事を考えるとワクワクした。精神論大好きマン達と飲んでいる時も、お前の喜怒哀楽が激しいのは病気じゃなくて性格、自分ともっと向き合った方がいい、通院なんかするな、逃げるな、というようなことを言われて、わたしも納得して、とうとう通院をやめた。
きっかけは地元の女友達だった。毎日毎日朝から晩までラインが来た。当時はFacebookをしていて、ログイン状態バレバレだったので、どうしてFacebookは見てるのにラインは返してくれないの?などとたびたび言われた。こっちが仲間とバーベキューしている時も、泣きながら電話が来て今話せないごめんね、と言っても切ってくれなくて、1時間弱話に付き合ったりした。
彼女は過呼吸持ちで、リストカットをしたり壁を殴ってあざを作ったり、時には自殺をほのめかしていたりしたので、二週に一度は2時間車を飛ばして地元に帰ってそばにいた。地元の友達に彼女の精神状態が心配だから見守ってあげて欲しい、わたしは何かあってもすぐに駆け付けられない、と頼んだ。友達は快諾してくれたけど、その後疲れてしまったのか、お手上げだ、と言ってきた。
彼女は頑なに心療内科には行きたがらなかったので、説得してなんとか行かせることに成功した。受診日、わたしは仕事中に彼女の心療内科に電話して、受付の女の人に、〇〇さんが来ていると思いますが彼女は過呼吸になりやすい人なので、きちんと診てあげて欲しい、など今思えばとんでもないお節介なことをした。
彼女の不安定さは恋愛によるものだった。彼氏が浮気症で、まるでヒモとでもいうようなダメ男で、そんな男やめなよ、苦しい思いして付き合う価値があるの?別れる勇気も必要だよ?一万回ぐらい言った。でも聞く耳を持ってはくれなかった。
また地元に帰ってその子の家に行ったとき、テーブルの上に処方薬の袋があった。調子はどう?と聞いたらあー、全然飲んでないんだよね笑 みたいなことを言われた。それはわたしが説得して受診させた病院の薬だった。もう関わるのはやめよう、そう思った。
そこから不眠が始まった。相変わらず朝から晩まで彼女からラインが来ていたけど、ごめんね、今余裕がないんだ、ちょっと距離置きたい、そう伝えた。でも納得してくれず、地元でわたしの悪口をあることないこと吹聴していたらしい。
疲弊していた。その気持ちを払拭するように、気づいたら躁転した。ほとんど眠れない日々が続いたけれど仕事は本気で頑張った。ラーメン二つとか、弁当とカップラーメンとか周りが引くぐらい食べても食べても痩せていくばかりで、バセドウ病を疑って検査したけど、異常なし。
ガリガリになって、気持ち悪いからもうちょっと太ったほうがいいよ、とまで言われるようになった。
嫌な予感がしていた。そして極度の鬱が襲ってきた。通院をやめてごめんなさいという気持ちで這うように受診した。その時にまたいろいろ検査をして、あなたは鬱じゃないよ、躁鬱ってやつ。そう言われて薬も抗うつ剤から気分安定薬に変わり、再びの服薬生活が始まった。
仕事は休職して傷病手当金を貰ってひたすら寝ていた。実家の母がわざわざ家事をしに来たこともあった。仕事復帰なんて夢だ、そう思って仕事は辞めた。しばらく生活できるほどのお金はあったので、ひたすらひたすら虚無の日々を過ごした。その時どうやって生きていたのか、本当に覚えていない。
一年ぐらいして新しい仕事を始めた。気をつけて気をつけて気分を落ち着かせて過ごした。でも仕事で認められるのが嬉しくて、やっぱり100%の力を出してしまう。やっぱり躁転した。仕方ないんだなと思った。躁の後は鬱が来る。それが双極性障害というもので、割愛するけどまあそのあとに来た鬱はこれまでで一番ひどかった。
ちなみに前述した地元の女友達はヒモ男とは警察沙汰になり別れ、職場で知り合った上司と呆気なく結婚して、今は幸せそうだ。その子は多分境界性パーソナリティー障害ってやつだったと思う。波長があってしまったのだ。それぐらい人との距離感は大事なのだ。年に一度くらい会う距離がちょうどいい。彼女はとてもとても穏やかになっていた。よかった。
わたしは自分の事が分からない。感情の起伏が激しいのは性格なのか病気によるものなのか分からない。さっきまで泣いていたのに数分後には笑っている、なんてよくある。
その癖、人と関わるのは好きだ。人の事を知ることが好きだ。理解したいと思う。この時点で烏滸がましいのだけれど。好きな人に好きなものを伝えたいし逆に好きな人の好きなものを知って共感したい欲がすごい。自己顕示欲が強いのは自覚している。
でも、相手の気持ちや、相手がどうして欲しいとか、きっとわたしが想像するものとは違っていたり、それが当たり前なのかもしれないけれど、どうしても相手にとって失礼な行動をとったりしてしまい、そのたびに自分が気持ち悪くなる。自己中でコミュ障なところがどうしても出てしまう。自責の念に駆られて落ち込む。
人との距離感は大事だ、その通りで、あとはバランスも大事だ。これは最近友人と話していたことだけど、私は悪い意味で感受性が強すぎて、辛くなる時がある。女友達の件も然り、その人の持つパワー(適切な言葉が分からないのでパワーと書きます)に潰されてしまったり、ちょっとズレるけど、映画とか映像とか厳しい描写にあたかも自分がそうなっているような感覚に陥って震えたり、なのでそういうものを極力見ないように生きてきた。ずるくて幼稚な人間だ。
書きたかったことにまとまりがなくなってきたけど、要はうまく生きられるかいつも不安だ。でも生きていて今は楽しいと心から思う。それは人との出会いが大きく、相変わらず人は好きだ。人と話すのも好きだし、多弁だと思われがちだけど実はそうでもなかったりする。
ちなみに喜怒哀楽の激しさは今も継続中で、デパスで落ち着かせたり、とりあえず寝逃げしたり、本を読んだり、映画を観たり、音楽を聴いたり、わんわん泣いてみたり、いろいろな方法で自分なりに受け流している。たまに希死念慮に襲われるけど、しゃーなしだ。
今の主治医である女医曰く、わたしの障害は物心ついた頃からじゃない?だそうだ。思えば高校のころから不眠気味だったし、とんでもない行動をしていたこともあったし。合点がいった。笑っちゃうほど躁鬱エピソード満載な人生だった。
女医はリカさんは躁鬱患者の中でも頑張ってる方だよ~、なんて笑ってたし、サバサバしていて信頼している。女医はADHDだそうだ。わたしは検査したけど結果がそれとは真逆でその時も女医は面白いって笑っていた。気分安定薬が合っているのか、去年なんかよりはずいぶん安定していると思う。相変わらずお酒はやめられないけど、それもしゃーなしだ。
幼いころ、テレビで女性の演歌歌手が泣きながら歌っていて、お母さん、どうしてあの人は泣いてるの?と聞いたら母も泣いていた。昨日そんな話をしたら信じられない、とばかりに笑われた。
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