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作品コンプレックス
篠田桃紅さんという敬愛してやまない美術家がいます。2021年に107才でこの世を去るまで、水墨画やリトグラフの作品を数多くこの世に残した彼女。その作品はコンラッド東京(ホテル)の壁一面に描かれた大きなものから、個人宅に飾れる大きさのものまで幅広く、作品はもちろん、私はその力強く、芯の貫かれた生き様に、心を奪われてきました。
ものを表現する仕事の人間にとって、「作品」は自分の足跡を示すものであり、ときに支えにも、自分を苦しめるものにもなるものです。
私も、そういう作品を残せる表現者でありたいと、どこかでずっと思ってきました。唯一の著者「あっこと僕らが生きた夏」はまさに当時23.4才の私が、生や命、いかに生きるかへの思いを、主人公大崎耀子(あきこ)さんや、彼女のまわりのあたたかい人たちの言葉や息づかいに乗せて、届けられたらと命を削るように生み出した作品でした。NHKのドラマの原作にもしていただけました。
でも、私の著作は、それきりです。
もちろん、文章のお仕事はたくさんいただき、この世のあちこちに私の書いた文章はひっそりと生きていますが、「書きたい」と、「書かなければ」と心の底から湧き出て、自分の全てを注ぎ込むような作品は、少なくとも本は、一つも生み出す機会がありませんでした。
理由は、言い訳はさまざまにあります。
新聞記者という、書きたければいつでもいくらでも書く場がある、そんな仕事をやめざるを得なかったこと。
女子高校生が命のすべてを野球に燃やした、あんな純粋で心打たれる事実を超えるもの、あのときを超える情熱が、湧き上がることがなかったこと。
何度か出版社に案を持っていっても、形になるまでのお話にはならなかったこと。
でも、それはすべて言い訳です。書きたいなら、ぐちゃぐちゃでも書けばいい。少しずつでも、書き溜めればいい。
そんな思いは、本を書いてから13年かけて、ぐるぐると私の中にとぐろを巻いています。
そしてときに、同年代の、年下の素晴らしい表現者のみなさんの本や音楽、作品に触れるたびに、恥ずかしいほどの劣等感に襲われてしまうのです。
たしかに私は物書きだけれど、本当に生きているのだろうか、と。
何者でもない自分を思い知り、消えてしまいたいくらい、苦しい気持ちになります。
つい最近もそうでした。
そうして悩める物書きである一方で私は、「先生」でもあります。
2015年から文章の書き方を伝える講師として、「有村文章塾」を立ち上げました。そんな職業の人は会ったこともないし、先達はいませんでしたが、人と向き合って話を聞くことが好きで、文章の苦しみがわかる自分だからできることがあるのではないかと、ひとり0から手探りで突き進めてきました。
今思うとなんであんなことを思いついたのかはよくわかりません。
そして、今年で10周年を迎えるまで、大学での就職活動の講座や、就活文章の添削を積み重ねて、企業、自治体にも呼んでいただけるようになり、5年前からは大学の正式な授業も作っていただけるまでになりました。
就活の文章添削というと、文章の形を整えるものを想像される方が多いのですが、私の添削では文章の書き直しを通して、学生の人生を掘り下げ、一人一人の生き方や長所、ゆずれないものを、納得のいく言葉が見つかるまで、一緒に突き詰めていきます。
インターネットに転がっているよく見る文章でなく、その人が本当に伝えたいことを、自信を持って話せる内容を言葉にしていきます。
そうして、真摯にことばに向き合う学生たちに、私も誠意を込めて向き合ってきました。いっときのハウツーでなく、技術も生み出した言葉も、人生を通して彼らの力になるように。
社会人の方への講座でも、私が前に立つ2時間の間は、できればそのあと数日だけでも、文章を書くことを楽しいと思っていただけたら、ハードルを感じなくなっていただけたらと、単なる知識のインプットではなく、文章を生み出す過程を体感していただけるように、その場のナマのやりとりを大切にやってきました。
「当たりの先生でした」と感想をいただいたり、リピートしていただけた時の嬉しさは、計り知れません。
文章の添削の席で、人と比べて自信を失って苦しんでいる学生に、私はいつも、「これまでしてきたことを書き出してみてごらん」と声をかけます。
自分の積み上げたものをきちんと言葉にすることで、言いようのない不安が、ふっと軽くなることがあるからです。文章には、辛い時に自分を客観視させてくれる力があります。
それで今、自信がぶれやすい自分のために、この文章を書いています。
たしかに書けないかもしれない。書けなくて苦しい。でも、だからって絶対に人生は0ではない。
それどころが、こうして10年積み上げたことで、言葉を大切に、ペンだけは手放さなかったことで、1000人を超える教え子の成長を見ることができた。講座でたくさんの方の「書けた」という笑顔を見ることができた。
もはや友達のようになった元教え子と週末に楽しいお酒を飲み交わすこともできる。
こうして10年で見てきたこうした景色も、教え子たちの豊かな文章の群れも、私の立派な「作品」の一つなのかもしれないと、こうして博多駅からの地下鉄に乗りながらこの文章を書くことで、やっとそう思えるようになっています。
篠田桃紅さんの目標とするところは、もう一つあります。彼女の作品展に行った時、その年表に驚いたのです。彼女の抽象画の歴史を書いたその年表は、ほぼ40代から始まっていたのです。
日本ではなかなか評価されにくかった彼女は、40代にして単身ニューヨークに行き、高い評価を得て、さらに自分の作風を確立していったようでした。そして107才になるまで、ずっと作品と向き合い続けたのでした。
私も今年40才。いいじゃないか。十分やってきたし、今からどんな作品でもきっと生み出せるはず。なんとなくそう思える気がします。
文章や仕事もそうだけれど、きっと私の人生1番の作品は、その「生き様」にしたい。
潰されそうになっても、何度でも立ち上がって、目の前の人と向き合い続ける、いつも誰かの笑顔を見ている、そんな生き様。
ふと書き始めたこの文章で、こんな結論に辿り着きました。家に帰ったら、数年前になけなしのお金を積み立てて東京の鶯谷の画廊さんから売っていただいた桃紅さんの作品を、梱包シートから出してみようかな、と思います。
もちろん書きたい、本当は書きたい。けれど、できなくても、私はここまで出会った方たちのおかげで、なんとか私にしかできない作品を、生み出していけるはず。そう信じたいです。
この文章もネットの中に漂うただのひとひらの葉っぱかもしれません。それでも、やはり改めて、こうして文章を書くことで自分は生きる道を正せるのだと改めて感じています。
そして、もし最後まで読んだ珍しい方がいらしたら、苦しいとき辛い時こそ、文章を書いてみることをお勧めすることとして、この変な文章をしめくくります。文章は、やっぱり面白いのです。
『自』という字に『由る』が、自由です。
私は自由です。自らに由って生きていますから