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光さす日を

 高校時代、幽霊部員ながら細々と卓球部に所属していた。そこに、2つ上の、みんなを照らす太陽のような存在の先輩がいた。学校のどこにいても彼女の笑い声は聞き分けられる、と言われるくらいによく笑い、明るくて、その存在自体がひまわりみたいな人だと思った。大好きだった。運動会では青ブロックで母校の名物である応援合戦のリーダーを務めていて、真っ黒に日焼けして青いTシャツで走り回る先輩が、私には眩しかった。

 その先輩がのちに心を患って、苦しんでいたことを知ったのは、彼女の訃報に触れた、大学三年の冬の終わりだった。

 今度会えたら、と思っていた。大学入試センター試験の前日にいただいた応援の葉書のお礼を言わなければ、と。葉っぱの柄の可愛い葉書いっぱいに、可愛らしい元気な文字でセンター試験に挑む私への応援の言葉が書かれていた。「ちひろなら大丈夫!」と。私はその葉書を鞄に入れて、試験会場に向かった。けれど、彼女にその葉書をいただいたあと、再び会うことは叶わなかった。

 どうして、浪人して大学に合格したときにでも会いに行き、すぐお礼を言えなかったのだろう。いくら後悔をしても、彼女に再び会うことはできない。

 高校の時、私には居場所がなかった。卓球部と兼部していた新聞部で部室のノートいっぱいに書かれた私の悪口をこの目で見たり、友人の輪から笑顔で抜けた直後や夜、私のPHSが(当時携帯の代わりに安価なものが流行っていた)非通知の「シネ」や「ボケ」の半角メールを何度も受け取ったりした。気がつくと、周りの人を信じられなくなって、私なんてと心を縮ませるようになっていた。教室ではずっと毛糸で誰にあげる当てのないマフラーのゴム編みをして過ごしていたし、勉強も手につかず、百人一首の訳をぼーっと読んでいるのが精一杯だった。そうして、優しいひとばかりの卓球部からも足が遠のき、行かない日が重なるたびまた戻りづらい気持ちになって、体育館の前まで行っては帰ることを繰り返していた。他の人からどう思われていたかわからないが、私の青春は青ではなく灰色だったと今でも思う。

 そんな私には先輩は別の次元の人のように見えた。彼女の悪口なんて誰も言いようがないくらいみんなに愛されているように見えたし、どんな悩みもその明るさで跳ね返しているんじゃないかとさえ思えた。先輩はうまれながらに「陽」の才能を持っていて、私はそれをもたない「陰」の人間だとどこかで思っていた。

 しかし、本当にそうだったのだろうか。彼女を「アンパンマンのような人だった」と振り返るご友人の言葉を葬儀で聞きながら、思った。その優しさは、明るさは、いつからか人のために自分の苦しみや悲しみを我慢して与えるものになってしまっていたのだろうか。私に葉書を書く先輩の姿を想像して、胸が苦しくなった。彼女が私に見せたことのない苦しみや心の孤独を思うと、自分も鬱を経験した今、棺の中で高校の卓球部のユニフォームとゼッケンと共に眠る彼女の姿を思い出し、何度も何度もいたたまれない気持ちになる。でも、どんなに思っても彼女に「大好きだ」「ありがとう」を伝えることはできない。人の命だけは、戻ってこない。

 

 時がたち、私は文章を教える「先生」となった。鬱の苦しみや夢を失った痛みを知ったからこそ、学生の今日に後悔がないことようにと働く。そして、そうしているうちに学生たちにこう言われることが何度かあった。「先生ってアンパンマンみたいですね」。先輩の優しさ、明るさには及ばないが、その言葉に先輩の笑顔を思い出し、自分のことを振り返る。

 「自分を大切にする」ことはとても難しい。私はいつもそれが苦手で、周りに心配をかける。無理なスケジュールを組んだり、自分に悩みや痛みがあるときに、人のことを優先したり。辛いことを抱え込んだり。

 はじめのコラムに書いたように、父の死により、命について考える機会は、人より早くに与えられた。「死」もいつも身近にある気がして、また大好きな人を失うのではないかと怯えながら、生きてきた。そして、目の前の人と明日会えるかわからないという気持ちで、いつも全力投球で人と向き合おうとする癖がついた。そのこと自体は何も恥じることではないと思う。でも、たまに忘れそうになるときがある。自分もまた誰かの大切な人であることを。

 大切な人が苦しんでいるとき、何を思うだろうか。「私でよかったら話してほしい」「できることがあるなら手を貸すから、一人で頑張らないでほしい」。私はそう思う。

 真っ暗闇にいると思う時が三十五年の人生で何度かあった。その度、その苦しみを一人で抱えようとしてきた。高校のいじめも、昔の会社で不当な扱いを受けた時も、誰かに助けを求めることができなかった。そして痛みを一人で抱えた結果、曲がりくねった信念だけが心に残り、思い出は灰色になって今でも心を傷つけている。

 

 どんな闇でも、光さす日は、きっと来る。もちろん闇の中にある人に無責任には言えない言葉だが、自分が誰かの大切な人である以上、そう思う気持ちを忘れてはいけない。大好きな人、大切にしてくれる人にとりかえしのつかない後悔をさせないために、ときに人に甘えることも、怒りを爆発させることも、休むこともあっていいんじゃないか。そう考えてみた。

 訃報に触れる機会も多く、命について考える機会があって、思うままに書き進めたので、まとまりのない文になったかもしれない。

 それでもその先輩や、父、そして私の唯一の著書の主人公、あっこちゃんにあるはずだった今日を、そして明日もその日を踏みしめ生きるために、辛い時こそ光がさす日を信じたいと改めて心に刻む。周りの人のために時には弱くも、わがままにもなりたい。ならなくてはいけない。自戒を込めて、また闇の中にあると思う人の目に触れればと、ここに書き残しておく。


(2020年私が傷つき苦しんで、自分の命の価値を忘れていたときのコラムです) 

 


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