
冬の日に
風の音、虫の音、雨音、鳥の囀り、…安らぎに充ちる音、時が移ろいゆく空の色彩、日射しの長い短いに、心が触れて、温かい時間を心に貯めていった。
冬は冬枯れていく季節かもしれないけれど、落ちた葉っぱの幹には、次の準備が始まっていて、目に見えない場所では、生命の細胞たちが、次の輝きのために忙しい。
染織家志村ふくみさんは、かつて詩人大岡信さんにその文才を見抜かれ、名著『一色一生』を書かれたが、この本は時を経ても、私にとっても詩的示唆に富み魅了される一冊。見えないものと見えるものは手をつないでいるという、詩人ノヴァーリスの言葉のインスピレーションは、染織家にとっては観念ではなくなる。
この本の中の忘れられぬエピソードは、桜の色を取り出す時の話。桜が咲く前の幹には、桜のピンク色が充満している、だから桜の色を取り出すには、そのタイミングの木が良いという話。なかなか桜が咲く前に伐採することはできないけれど、たまたまそんな時期の木を切るという話が来たという。この逸話を知ってから、春先の木の幹の中に流れる花色の川を想像して、春を待つようになった。冬の立ち枯れに見えるような木々を見ていても、楽しくなったのだ。
ところで、染織家でなくとも、言葉や音楽などで創造するものは、すべて見えないものをこちらへ引き出すところは共通であって。見えない場所で流れているお喋りや音楽に耳を傾ける。例え小さな形でも、迸る生命の息吹を、こちらの形にするとき、きっとその誕生を助けたり、私たちの触れえる符号への書き換えを、見えないものそれ自体の創造力に、助けられたりしているのだと思う。