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自己紹介


ARiって何者なの?

まぁ、どこへ行っても聞かれる。
そして「自己紹介」がとにかく苦手なのだ。
「自ら己を紹介」するってこと。

会社員でもある私が社内や取引先、
あるいは仕事の交流会では
「〇〇株式会社の〇〇部署に所属して
います。〇〇のプロジェクトチームを
やっており、現在は〇〇の案件に
目下専念中です。」とかなんとか
言えばいいのだ。

あとはアイスブレークで時事ネタひとつ盛り上げればOK。

それはなんてこったない。
シーンとした日本人のあの空気を打開するのは
むしろ得意だ。

私がニコッと微笑めば和む。よし。

で、私と言う「個」を自ら紹介する難しさよ。
恐らくそれは自分を紐解く鍵でもあるので一緒に見ていって欲しい。

ちなみに私は
現在所属する、小田桐あさぎさん率いる
「魅力覚醒講座」にて自己紹介が書ききれず
受講期間の後半に思い切ってZOOMを使って
「自己紹介」イベントと言うのを開催した。

1時間ひたすら自分のことを喋り続け
(コメントも拾えず)
ようやく人生の3分の1位を喋った。

1人も退出せず食い気味でコメントを
寄せてくれていたことは後になって
アーカイブを自分で見て知ったのだった。

そう、話せば話すほど、興味を持って貰える。
話さなくても「なんだなんなんだ?」と
気になって貰えるのは大変嬉しい限り。
興味を持って貰える入り口は何か?

「笑顔」
「vividな世界観」
「ファッショナブル」
「パッション」
この辺りがキーワードになってくるだろう。
だけどだ、これだけでは何者かの謎は解けないのである。


超簡略 職業歴

1円でもお金貰ったらそれはもうプロ‼

  1. 10代半ば 
    アーティスト(主にVocal) CDリリース

  2. 10代後半 
    ライブイベントオーガナイザー・プロデューサー

  3. 10代ラスト~20代ラスト 
    クラブイベントオーガナイザー・ファッションショーイベントでは平日の夜に一晩で1000人動員!!
    (芸能人のスタイリストのアシスタントや芸能界とGAY能界の色々もこの頃)

  4. 20代 
    バーテンダー(クラブからホテルまで色々)・ギャルソン・飲食店経営会社にて店舗部門部長。青山等で飲食店立ち上げ・運営。

  5. 30代~40代前半
    金融業界にて督促業務。カリスマ回収の名を欲しいままに。

  6. 30代 
    プロアスリートのマネージャー兼、プロモーター


『好きなことを好きなだけ。』

始まりは・・・

『好きなことを好きなだけ。』
これは人生のテーマでもある。

東京都のど真ん中に生まれ、
日本の最新の景色を見て育って来た。
三代目江戸っ子だ。

ただそこに生まれて来ただけ。
しかし出身地で疎外感を受ける事も
少なくはなかった。

「東京」アドレスは自慢ではないのに。

まぁその話は追々。(すぐ横に逸れる)

幼少期から何かと目立つ存在ではあった。
4月生まれで身長が高く、少し大人びていた。

活発だった為、休み時間も女子とお喋りよりも
専ら男の子と校庭で走り回っているタイプ。

自分で言うのもあれだが真面目で
ちょっとだけ頭が良かった。
しかし、それでまさかの人生初の挫折を
味わった。

せっかく子供番組(バラエティー)の
子役オファーを受けたのに全問正解連発でむしろ
面白味がなく1ヵ月程で降板になると言う。

子供番組は子供らしさ全開でおバカな方が可愛いと学んだ。


中学の時に初めて某アーティストにのめり込み、
好きを貫く経験をする。
好きなアーティストの布教活動に勤しみ
母親も巻き込み、追っかけやら同じ楽器を習う
コスプレなどなど。夢中だった。

その夢中になる気持ちを抑えきれず
学校でバンドを組んだ。

バンドなんか存在しないような進学校での話。
私が夢中になって笑顔になる楽しさを知った
以上、勉強漬けの毎日のみんなにも
笑顔になる瞬間を届けたかった。

中学の学園祭で初ライブを経験。
中庭や体育館でステージを組んで人前で歌う。
コピーがメインだったがオリジナル曲も披露。

あっという間に話題になり、後夜祭では全校生徒
巻き込んで盛り上げた。(みんなこう言うの
漫画や学園モノドラマで憧れていたんだよね)

そしたら、なんと情熱が音楽の先生に響き
オリジナル曲が「卒業式」で全員で歌う曲に
なると言うハプニング。
音楽の先生がアレンジして合唱曲になった。

しかもこれ、当時好きな人だった人に向けての曲。当人もこの歌、歌うとかもう訳わからない展開。

もちろん前代未聞。
のちに入学した妹は「恋愛メッセージ」を卒業ソングにした姉の妹として迷惑だっただろうにw

で、なんだよ?って
「好き」の情熱は人を巻き込み、動かすってことを体験した初体験だったってこと。

この頃から「好きなものは好き」が加速。


その後、高校生の時にバンドを幾つか経験。
インディーズでデビュー、タワレコ等に
CDが並んだ。

自分が歌詞を書いて歌って、CDジャケットデザインしてそれが売れるって凄いよね。(他人事みたいに思う)

ステージを経験しているうちに
「自分でイベント企画した方が楽しいのでは?」と思い立つ。自分で企画すれば好きな音や好きなバンドを集められる。
それだ。

当時はネットも然程普及していなかったので(使ってはいたが)音楽雑誌でイベント出演者を募集したり、自ら好きなバンドの人に声を掛けたり。

渋谷・原宿・新宿で数々のイベントを
手掛けていくことになる。

この時はまだ10代。
10代のどこの誰だか分からないが面白いことやっている人として人が集まるようになる。満員御礼の天井から熱気のシャワーが降り注ぐ空間。

手掛けたイベントでは各バンドの演出も担当させて貰った。

音源はいいのに何故か人気の出ないアーティスト(幾らでもいる)これをどうやったらパッとさせるか。売れさせるか。考えるのがたまらなく嬉しかった。

バンドマン達は個性も拘りも強い。
それをどう生かすか。
だけどチラシが最高にダサいとかw
ちょっとしたアイディアでファンを獲得出来ることもある。それがジワジワ広がっていく。(そして本人たちも今までのダサさに気づき、切り込んだ私に牙をむいていたメンバーからも信頼を獲得してみたり。面白いもの)

お陰様で中には〇ステに出るまでになったアーティストも居たのだ。CDのクレジットに「Thanks ARi」と載る嬉しさ。

感性と自分の「直観」・「好き」なだけ。
後から考えればプロデュースするってことはココからだった。


話し出すと止まらない。
好きなモノを推すとプロデュースに
なっていた話。
この先、まだ前代未聞続きが始まる。
お楽しみにね。

ここまで読んでくれてありがとう。
また見に来てみてね。

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