夢と虚無と
ああ、気が重い。
気が重い。
体が重い。
いつにもましてひどい寝癖を整髪剤でがしがし直しながら洗面台に立ったわたしは、あまりにも見るに堪えない顔をしていた。それだけだけでいっそう気が重くなる。
そもそもは昨日の飲み会だった。サークルでの集まりで同期にひどく酔い潰され、終電間際で電車に乗り込んだまではよかった。
そこで昔の想い人に偶然再会してしまったのが悪かったんだ。向こうもこっちもほぼ同時に互いに気づいて、ほぼ同時にそっぽを向き合った。
あっちは気まずさで、こっちは恥ずかしさで。
想い人は高校の先輩だった。
部活で一緒になって、わたしが一方的に惹かれていったという王道ストーリーそのものだった。笑顔が爽やかで横顔が素敵で何もかもが輝いて見えるような先輩だった。
そんな先輩としばらくして何の因果か付き合えて、その半年後に何の因果かフラれた。
それだけの話。それだけの話だったんだ。でもわたしにとってはそれだけの話じゃなかった。
簡潔に言っちゃえば、わたしはひどい恋愛依存体質だった。
その先輩とつきあったのがはじめてで、ひどく舞い上がっていたわたしはもうすごくすごく幸せ者だった。
ずっと甘美でとろけるような夢を見ていた。
デートにも行った。一週間しか違わない誕生日だって互いに祝った。甘酸っぱい青春っぽいこともたくさんした。
それが私を苦しめるようになった。
何が駄目だったんだろう、どうすればいいんだろう。
そればかりが頭を占めてわたしはわたしじゃなくなるような感覚に陥っていた。
そしてわたしは今もその甘美で残酷な夢から抜け出せないままでいる。
高校を卒業してからのわたしの生活は最悪そのものだった。
大学の授業やサークル活動にはある程度参加していた分、日中は普通の「わたし」が生きていたんだけど、毎晩一人になるとわたしのなかの「わたし」はどこかにいってしまうようだった。
その感覚を消そうとわたしはたくさんの人とお付き合いを繰り返した。中にはひどい人もいた。
そうだ、痛いのはわたしだけなんだ。そう思うたびに相手の肩口に頭を寄せ泣き伏した。心の痛みは消えても体の痛みが新しくできるだけだった。
寂しさばかりがわたしを襲う。苦しみばかりがわたしを襲う。
「ごめんね、やっぱり私たち、皆に隠してこのまま付き合っていくなんて無理だよ」
―なんで、先輩、わたしが好きだって、言ってくれたのに
「本当にごめんね、私、好きな人ができたの」
―わたしじゃだめでしたか
「そもそも付き合うべきじゃなかったんだよ、だってわたしたち、ほら、さ」
―わたしが、男じゃないからだめなんですか
「君にはいい人がもっといるよ、いい『彼氏』が見つかるよ」
最後の会話がずっとわたしの心に刺さりっぱなしになっている。
先輩は結局、普通に恋愛がしたかったんだ。
わたしは先輩の何になりたかったんだろう。付き合うことの先には、何があったんだろう。
甘美な夢はときに人に虚無感を与える。
わたしはその虚無感を払いたくて心から望んではいない関係を多くの人と築いた。でも満足できるわけがない。だってわたしは、わたしは元々あの先輩しか見てないんだから。
アルコールが理性をどろどろに溶かしていった。
どろどろに溶けた理性はわたしをろくでなしにした。
わたしは、自堕落な人だ。
時計の針の音だけがわたししかいない部屋に響いた。