イメージの病理
まだ私が中学生か高校生だった頃、恩師のとある先生から一冊の本を渡されたことがあります。
タイトルは『毎月新聞』。NHKの『2355』などで有名なメディアクリエーターの佐藤雅彦さんの本でした。この本は文字通り実際の新聞の夕刊に月1回掲載されていた記事を集約したもので、基本的に見開き2ページ(4ページの時も)が1回(1月)分という構成になっています。ちょっとした片手間に読めるわけですね。
私が渡された当時は出版から数年が経過していた状態でしたが、その独特な切り口とアプローチの方法は一切色褪せることが無く、すごく興味深く私を惹きつけるものでした。勿論今では新たに文庫版を購入し、ときたま目を通しています。
また、文中にときどき入る挿し絵もとても魅力的なのです。
というのも私は(年齢がバレてしまいますが、)だんご3兄弟が一大ブームとなった世代そのものであり、だんご3兄弟やピタゴラスイッチに育てられたと言っても過言ではないわけです。そういったこともあってか、非常に懐かしい気持ちになりながら毎月新聞を食い入るように読んでいたわけです。
先述の通り読み物としてはとてもライトな体裁ではありますが、その内容は毎回ハッとさせられるようなものばかりだと思います。
前置きが長くなりました。
その中でも私がとりわけ好きなのがこの記事、「単機能ばんざい」。結構序盤にあるものなのですが、これが一番好きです。
その趣旨は「人が長く愛用するものは決まって単機能(=使う目的がはっきりしている)のものばかりであり、新機能や多機能という特徴はあくまでも人々に新たな自分を創るという錯覚を抱かせがちである」というもの。
いくら多機能ですごいものを持っていても、その利用意図や目的が無ければそれは役に立たないという文章でした。現在も昔も、新たな商品のキャッチフレーズは「新機能」や「多機能」という言葉に汚染されがちです。別にそれ自体を否定するつもりはありませんが、要は「宝の持ち腐れ」になってしまうわけですね。
いくらMMORPG用といった世に言うハイスペックパソコンがあったとしても、ただインターネットサーフィンするためだけにパソコンを持っている人にとってはそのスペックは価値が無いに等しいわけです。
あくまでもこれは一例に過ぎないわけですが、人は社会に生きている以上色んな商品を見つけずにはいられませんし、「新たな自分」という虚偽のイメージを抱かずにはいられません。
結局は自分が今何の目的でそれを求めているのか、欲しがっているのか、が肝心なわけです。至極単純ではありますが人はすぐに忘れがちです。
これが現代社会の大量消費の遠因なのではないかと、そう思います。
アフィでも何でもありませんが、気になった方は是非。
あ、ステマでもないですよ。こちらには一銭も入ってこないですし。笑
追記、佐藤雅彦氏のイラストだけで言えば私は『プチ哲学』のほうが好きだったりします。