その右手に忠誠を誓わせてほしい
家に帰っても「おかえり」は返ってこなかった。
今日はバイトじゃないはずだし、どっか行っちゃったまま帰ってきてないんだなあなんて呑気なことを考えつつ夕食の支度をする。
彼女が好きな炊き込みご飯。彼女が好きな味噌汁。
家にいると彼女のことばかり考えてしまう。
彼女―同居人の瑞穂がうちに転がり込んでから半年が経過した。
中学生の頃抱いた東京への憧れを捨てきれず、単身で田舎を飛び出し上京してから三年。実家には一切連絡を取らなかったし、あちらからも連絡が一切来なかったのでそのままでいたが、半年前に瑞穂が突如として私の家にやってきたのだった。住所も何も知らないはずだったのにどこで特定されたのか、冷や汗をかいたものだ。
ボストンバッグを片手に「ねえ、これからここに泊まらせてくれない?」と言われた時は正直とても狼狽した。東京から実家は学生が日帰りで到底行ける距離じゃないし、ましてこの子はまだ未成年。
―そしてこの子は本家の一人娘だ。
高校は、と尋ねると「退学した」としか言わないし、ご両親にも連絡するよ、と言っても「うん」としか返してくれない。
本家に何かあったらこちらの首がはねられるというのに、何故か実家から連絡はその後も一切なかった。衝動的な家出でもなさそうだったし、小旅行でもなさそうだったので、考えた結果家に置くことになった。
野放しにしたところでこんな殺伐とした無法地帯じゃ、どこの馬の骨か分からないオジサンに捕まえられて餌食になるだけだ。
彼女は箱入り娘で世間知らずの元、女子高生だったわけだ。
だからといって生活が急変したわけじゃなかった。瑞穂はいつの間にか近所のコンビニで働きだしていたし、私はいつも通り事務職員としての生活を続けていた。強いて言うなら、作る食事の量がちょっと増えただけ。
彼女がこんな時間まで帰ってこないことは珍しかった。
とっくに冷めたご飯にラップをかけながら時計に視線をやる。もう短針が10を指していた。携帯に連絡しても返事が無い。
彼女は見た目に反してとても真面目だった。悪さはしないしゴミ出しもきちんとやってくれるし、洗濯物がたたまれていることもある。
瑞穂と一緒に暮らすまでは、私は本家の人と会ったことは指に数えるぐらいしかなかった。だから彼女の新しい一面が見られるのは少なくとも楽しいことだったし、彼女を煙たいと思うこともなかった。
だからこそ、不安なんだ。
過保護だと思うけど、不安なんだ。
なんとなくテレビをつけて気を紛らわせつつラインに既読がつくのを祈るばかりだった。
(続)