【都市の経済構造を考えてみる!】(第41回)「製造業の付加価値の推移を確認してみた!(仙台経済圏)」
前回は、稼ぐ力について、平成7年、平成17年、平成25年の産業連関表から、その推移を確認してみました。移輸出額では、その6割から7割が製造業で、意外と第三次産業、とりわけ商業が大きかったです。また、製造業の移輸出額が安定的だったのに対して、第三次産業の増減が大きかったのも意外でした。
・【都市の経済構造を考えてみる!】(第40回)「稼ぐ力の推移を確認してみた!(仙台経済圏)」
https://note.com/areaia/n/n50cf72009bd9?magazine_key=m4e87da1b572a
今回は、移輸出の大きな柱である製造業について、粗付加価値側を確認しておきたいと思っとります。
◯ 統計情報を入手します!
今回も、産業連関表です。平成25年の産業連関表のページの下部に、昭和30年以降の産業連関表がございますので、こちらから拾ってみます。
・宮城県経済の構造-平成25年宮城県産業連関表(延長表)-
https://www.pref.miyagi.jp/soshiki/toukei/h25rennkann.html
◯ 全体像を確認します!
産業連関表にある全産業部門の粗付加価値の欄にある合計額を拾ってみました。
色をつけてあるところが、時系列の中で数字が最も大きいところです。
県内生産額では、1975年以降増加が続いて、2000年にピークで、16.0兆円ですね。2005年には減少となって、震災がありましたが、2013年には、15.9兆円と2000年レベルに復活しています。
粗付加価値の方では、生産額と同様に、1975年以降増加が続いて、2000年に9.1兆円でピークとなります。2005年には減少しまして、震災があって、もっと減少しまして、2013年にはちょっと戻しますが、8.3兆円と2005年を下回る水準で、生産額ほどは戻せていません。
粗付加価値の内訳にある雇用者所得ですと、こちらも、1975年以降、増加が続きまして、2000年に4.4兆円でピークとなります。2005年には減少しまして、震災で大きく凹みますが、2013年にはちょっと戻しまして、4.1兆円です。2005年を下回る水準です。
営業余剰は、1975年から増加が続きまして、1995年に2.1兆円でピークとなります。その後、減少傾向となり、震災の2011年には、ピークの6割ほどの1.2兆円まで落ちます。2013年には、2005年レベルの1.6兆円まで戻しています。
全体としましては、1995年から2000年あたりが、経済規模としては、仙台経済圏のピークであったと言えそうです。
産業連関表がある年では、人口も、1975年以降増加が続き、2000年が総人口が2,365千人、生産年齢人口が1,602千人でそれぞれピークでありました。2000年あたりまでは、人口増加と共に、経済が大きくなってきた、という側面もありそうです。
2000年頃以降、経済の縮小が始まりまして、2000年と震災後の2013年との比較ですと、県内生産は、△1,329億円とピークから1%ほどの落ち込みですが、人口の方は、2%ほど37千人の減少で、生産年齢人口は、126千人の減少で8%も減っています。生産年齢人口の減少ほどは、経済は縮小していないですね。
◯ 製造業部門を確認します!
続きまして、産業連関表にある製造業部門の数値を拾ってみました。
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