オーバー・ザ・レインボー
1st semester(1学期)で楽しんだタイピングの授業は終わり、次の2nd semester (2学期)で選択した授業のうち、一番楽しくて心待ちにしたのが、グラフィックデザインの授業でした。
何をやるかと言うと、ダンスパーティーや演劇など、学校行事案内のポスターを制作したり、壁に「立ち入り禁止」や「図書室」やらのサインを描いて、ペンキと油絵具で塗るような作業が中心です。
それらの作業も、もちろん楽しかったのですが、一番良かったのは、クラスのメンバー。
分かりやすい英語で説明して下さる、先生のサラ、本格的にデザインの勉強をしているドイツ人留学生のピーター。ドラッグでもやっているのではないか?と、思わせる風貌のちょっぴり危なそうな男子に、元の顔が想像できない位厚化粧をした、ヘビメタ系の女子。
その他、ホストファミリー宅の隣に住んでいる一家の、息子もいました。
他のどのクラスよりも異色メンバーの集まりでしたが、どのクラスのメンバーよりも、私と日本に興味を持って接してくれる人々の集まりでもありました。
そして、このクラスで思い出す、小さな後悔があります。
1987年時点で、クラスには、マッキントッシュのコンピューターを使っている男子がいました。
彼は私に、アップルのロゴマークがシールになったものを見せてくれて、「このマシン、最高だから、使ってみな」と、教えてくれたのです。
彼の言葉通り、もっと早くコンピューターに手を出していたら、どうなっていただろう?いやいや、1995年発売のマイクロソフト・ウィンドウズにすら、四苦八苦した私には、所詮無理な話?とも思ったり。
当時のリンゴマークは、今のシンプルなモノトーンと違い、レインボーカラーだったのですが…。
このレインボーがまるで、あのクラスにいた異色メンバーを表している様で、彼らの顔を思い出す度、ポワンと胸の奥に、何か温かいものと、「人のアドバイスには耳を傾けるべし」と言う、かすかな後悔が湧いて来る様に思います。