発作性上室性頻拍 その2
発作が起こった時には、自分で処理できるので、心配には及ばないし、それをする時間(=ランニング中であれば、少し止まらせて欲しい)だけ下さい。
と、PEの先生へ勝手に手紙を提出したものだから、私の想像を超えた事態に。でも、今考えると、「そりゃそうだよね」と思えるので、18歳とはまだまだ未熟な子供だなと、思います。
PEの先生の報告を受けて、スクールカウンセラーから私の持病と手紙を知らされたMomは、冷静に怒りました。
「病気が悪いのではない。病気があるのなら、その診断書を提出してもらわないと、何かあってからでは遅すぎるのよ」
と、YFUから届いている、私のパーソナルデータの紙を見せながら言いました。
すぐに、日本の両親へ国際電話をして事情を説明すると、日本のYFUと相談した両親から、主治医(と言っても、9歳の頃行ったのみ)が書いた、英語の診断書が届けられました。
私の渡米時、「少し気になるけれど、まぁ、知らせるまでもないか…」と判断した両親に、悪気があった訳ではありません。
でも、そういう曖昧さと私の思慮不足が招いたトラブルに、心の底から反省をして、そして我が子の様に心配してくれたホストペアレンツには、更に信用と愛情が増すのを実感しました。
そして。
私が9歳から持ち続けたこの病気、40歳の時に住んでいた名古屋で、「子供を産みたいなら、治しておこうか」と、アドバイスを頂き、全身麻酔のカテーテル手術で完治、そして43歳で無事に子供を産みました。
9歳この時から計算すると、31年間も、時々発作に襲われてはしんどい思いをしていたのに、手術以降、これまで一度も発作はありません。
今は、医学の進歩に心から感謝の気持ちで、日々を送っています。