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デニス・テン

フィギュアスケートが好きだった。 
みんな好きだったけど、特にデニステンが好きだった。
彼が亡くなってから、なんとなく、フィギュアを見なくなった。

彼のスケートは、特別だった。
多分そう思っている人はたくさんいると思う。

フィギュアスケートは、たくさんのドラマがある競技だ。
素人が見ても、その美しさには息を飲む。

人が空中でクルクル回って、 四肢がなめらかに氷上を舞う。
でもミスもしやすい競技だ。
着地する靴の部分が少しずれただけで、選手は固くて冷たい氷の上に叩きつけられる。
ひどい時は、回転時の勢いが余って、壁にぶつかってしまう。
私はそれを見ると、いつも泣きそうになる。
全身痛くて、恥ずかしいはずなのに、立ち上がる選手。
立ち上がるだけでなく、曲が終わるまでは氷の上で一人きり。
ラストまでは絶対に舞い続けないとならない。

やっと踊りきった、と思うと、そのダンスに点数が付けられる。
普通のショーのように、踊れたね、上手だったね、では終わらないのだ。

その点数に関しても、美しいだけではダメで、あらゆる面から評価される。また、その評価の仕方は、毎年少しずつ変わる。

私はそんな、フィギュアスケートの、厳しいところに、すごくドラマ性を感じる。

いろんな選手のいろんな演技が大好きだが、デニステンのスケートは、なぜか何かが違っていた。
上手い下手ではなく、とにかくその容貌、姿勢、 選ぶ曲、彼のいろんなことについて、興味が湧いた。

カザフスタンの選手ということも興味が湧いた。
スケートが盛んでない国でひとり、国を背負って世界で戦うということ。
それがどういうことなのかと考えると、緊張でクラクラした。

デニステンのスケートは、見ていて涙が出た。
なぜだかわからなかった。でも、亡くなったと聞いて、だからだったのだろうか、と思った。

「寿命が短い人は、その分命を燃やしているから、とてもキラキラ輝いていて見える」と言う話をどこかで聞いたことがあったから。

デニステンはキラキラしていた。
転んでもうまく滑れても。
ショーでも。

命がどれほどキラキラしているものなのか、デニステンは見せてくれていたような気がする。

スケートをしてくれて、世界に姿を見せてくれた、そのことに、心から感謝しています。ありがとう。
ご冥福をお祈りいたします。


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