観るか観られるか カサットの視点と男女の視線
19世紀に活躍した印象派に属する女性画家メアリー・カサットの《オペラ座にて》を、視点と視線というテーマで分析したい。
【造形】~何がどのように描かれているのか~
まずは造形的な特徴から捉えてみる。オペラ座の桟敷席(ボックス席)で、右手にオペラグラスを持ち、何かを熱心に鑑賞する女性が描かれている。女性はマチネ公演用の黒衣をまとい、左手に握った扇子は閉じたままで、女性らしい華やかさを演出する要素は見当たらない。この黒衣の女性をメインモチーフに、背景的な要素として他の桟敷席と観客らが描かれている。黒衣の女性の丁寧な描写と比較すると、背景の運筆は粗く、ストロークの跡が残る箇所も多い。桟敷席の前部手すり下の黄味がかった白い壁には装飾があるが、詳細な模様は描き込まれていない。
そんな背景の中に、鑑賞者の目を引く存在がある。画面に向かって左上部に描かれた黒いスーツの男性だ。粗いタッチではあるが、離れて観るとそれがオペラグラスを使い黒衣の女性、もしくは女性と同じ桟敷席に居る誰かを観ている男性の姿だと判る。また、絵の外の鑑賞者である我々も、男性の視線の対角線上にある。つまり絵の外にいる鑑賞者の空間と絵の中の空間が繋がっているような、トリッキーな構図がとられている。
【主題】~絵の中に込められた、作者のことば~
カサットはこの絵を描くことで何を伝えたかったのか。主題を考察してみたい。当時、ブルジョワ階級の女性が出かける公的な場所は、限られていた。劇場の桟敷席もそのひとつであり、上流階級の男女の出会いの場でもあった。よって、この絵のように、男性が桟敷席から身を乗り出しオペラグラスで女性を品定めすることは珍しくなかったようだ。同時期に活躍したルノワールの《桟敷席》にも、オペラグラスを使い「舞台を観ていない」男性が描かれている。
ここで注目したいのは、カサットの《オペラ座にて》では、女性は男性から向けられた好奇の視線は意にも介さず、積極的に何かを観ているという点だ。通常、桟敷席は2階以上にある。下の階の桟敷席が描かれていることから、女性が座っているのは3階以上だとわかる。舞台を観るのであれば、顎を引き視線を下方へ向けるはずだ。水平に向けた彼女の視線の先は、舞台ではなく他の何か、たとえば男性観客かもしれないのだ。「男性は観る側、女性は観られる対象」という風潮に対抗し、女性も「観る存在」になりうることを表現し、男性主導の社会への皮肉を込めたのだろう。
【文脈】~いつ、どこで、何故この絵は描かれたか~
では、どのような時代・環境の中でこの絵は生まれたのか。作者カサットと、彼女が活躍した時代の社会構造の関係性という、文脈を考察する。
長い美術史において、絵画の描き手は圧倒的に男性で、モデルは女性だった。女性が職業を持つことが困難だったことと、美術教育には裸体のデッサンを伴うことなどから、女性が専門的な教育を受けることは認められなかったのだ。プロの女性画家が世に出はじめたのは19世紀以降である(それまで女性画家が全くいなかったわけではないが、稀であった)。しかし、19世紀後半になってもフランス国立美術学校は女性を受け入れず、パリの私立画塾の一部だけが、高額な授業料を支払える外国人留学生や富裕層の女性を受け入れるようになった。カサットも、アメリカのブルジョワ階級の出身である。つまり《オペラ座にて》の黒衣の女性同様、自由に行動できる範囲は限られていた。そのため女性画家が描く空間は室内が多く、屋外であれば庭園や公園、劇場がほとんどである。
一方、同じ印象派に属するマネやドガ、ルノワールが描いた空間は、劇場の舞台裏であったりカフェやキャバレーであったりと多様で、描かれる女性たちの身分や職業も様々だ。男性画家と女性画家が見ていた世界は違うのである。仮にカサットが下層階級の出身であったとすれば、カフェで筆を走らせることができたかといえば、そうではない。画家になることすらできなかっただろう。性差と経済格差がもたらすデメリットは、常に女性側に置かれていた。
しかし、視点は限られた場所であっても、画題の人物が向ける視線の描き方ひとつで、カサットは社会構造を風刺してみせた。《オペラ座にて》は、フェミニズムの観点から作品と時代を読み解くにあたって最も適した作品だといえる。
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