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Fueguia 1833 | 沼り編
香水好きが行きつくと形容されるフエギア(Fueguia 1833)は、2010年にブエノスアイレスでジュリアン・ベデルにより創業されたニッチ香水のブランドです。
仕事中に自分の身体から漂う香りをかぎ、目をつむりながらしばし固まるという毎日を過ごしていて、周囲から不審の目を向けられる状態になりました。キリをつけたいと思います。
Pampa Húmeda
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真夏の雨上がりに吹き抜ける爽やかな風を感じる香り。ビターオレンジのほろ苦さ、狩りたての草木を思わせる鮮やかな清涼感に、ほのかなコショウのスパイシーさが溶け込む。探検家ヘンリー・ハドソンが記憶に刻んだ南米を駆け抜ける冷たい南風、パンペーロを表現した香り。付けたては清涼感が際立つが、ミドルノートにかけて炭酸の抜けたサイダーのような風味に変わる。香りの変化を最後まで愛せるかどうかで評価が分かれるだろう。
Komorebi
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木漏れ日を遮るアンバーな風に桜の香りが広がる。このフレグランスは、粉っぽいフローラルな香りがミドルまで続き、一度はこのまま消えていくかと思わせる。しかし、ラストノートでは意外にも塩のような香りに変わり、驚きをもたらす。全体的に軽やかな香りで、寝香水としても最適だ。
Biblioteca de Babel
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杉製の書棚に整然と並ぶ風化した本たち。その幾重にも重なる言葉や思考、時間と物質が息を吹き返す。そんなストーリーが広がるフレグランス。恐れを和らげる希少なカブリューバが、シナモンの繊細な香りで包み込まれている。この香りには、調香師の知性が感じられ、試したサンプルの中で最も印象深いものとなっている。この香りに魅了された人は、きっと一生手放すことはないだろう。
Entre Ríos
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出来事が過ぎ去っていく時間の移ろいを河の流れに喩え、次への活力を柑橘の泉で蘇らせる。そんなコンセプトの香り。時を重ねて円熟した木製家具のような香りの中に、ほろ苦い柑橘が見え隠れする。最後に残るのはレモンピールの苦み。ウッディーと柑橘類の調和を泉に例える調香師の文学的センスが光る。フエギアの魅力を感じさせる一品だが、どうしても手に入れたい香りとはいえない。
Don Giovanni
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ドン・ジョヴァンニ。放蕩者の謎めいた人間性が漂う香り。通りすがりに思わず振り返る甘さはムスクとアンバーによるもの。その動物由来の香りが、彼の人物像に見事に合致している。孤独を恐れるがあまり、彼はあらゆる女性を誘惑し、現実を忘れようとする。そんな解釈が確かに透けて見える。この香りを纏える人は限られるだろう。
Ett Hem
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世界の二つの果て、パタゴニアの最南端とスウェーデンの最北端には、針葉樹とサンダルウッドが自生している。その涼しげな森の香りと焚き火の暖かさが確かに感じられる。しかし、ミドルノートから焦げ臭さが残り続ける。誰に似合うだろうか。この香りは、荒野を旅する探検家や、静かに燃える情熱を秘めた人々にふさわしいのかもしれない。
Paisaje
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タンゴの作詞家オメロ・マンシへのリスペクト。この香水は、アルゼンチンタンゴの叙情的な旋律と踊りが醸し出す物悲しさを感じさせる。その背景には、故郷に置いてきた妻や恋人への郷愁があると語り継がれている。ジンジャーとカルダモンのスパイスの掛け合わせが、独特で形容し難い世界観を創り出す。この香りを纏っていると「これどこの香水?」と尋ねられることはほとんどないだろう。しかし、このストーリーに心を惹かれたなら、それでいいじゃないか。この香りを愛する者同士は、必ず親友になれるはずだ。
Amalia
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ウルグアイのジャスミンとアジアンジャスミンが織り成す意外な共生、その友情へのオマージュ。この香水を纏った瞬間、まるでトイレの芳香剤のような香りが広がる。この屈辱的な瞬間を耐え忍べば、かすかにフローラルな香りが顔を覗かせるかもしれないが、多くはギブアップしてしまうだろう。肌に直接つけることは避けた方が良い。
Tinta Roja
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ムスク、バニラ、そして溶けかけのチョコレート。その甘さの正体はチュベローズとガーデニア。共にまったりとした甘さを持つ花々だ。悲哀な別れに甘美さが残る、そんな恋をしたいだろうか。懲りてもまた繰り返す、それが人間というものだと思う。
Beagle
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測量船ビーグル号で「種の起源」を執筆したチャールズ・ダーウィン。その船内にはオークウッドの樽、揮発したラム酒、そして火薬の香りが漂う。この香水は、甘みが遠ざかってはまた香る、その移ろいが火薬によるものかどうかは定かではないが、この複雑な香りを理解するには時間が必要だ。時代と探求の息吹を感じさせる、深遠なフレグランス。