
さらっと西洋建築史5〜ローマの街を支えた歴史的公共建築群〜
2世紀になると、ローマ帝国は西欧のほとんどをその領土としていくことになります。その中で、絶対的な権力を誇った歴代の皇帝は、公共施設の建設を中心とした大規模な造営事業を敢行していきます。
その当時には多くの建築物が建てられ、また人々の生活の一部として活用されていきました。
今回はこの時期に建てられた建築物の中でも代表的なものを見ていきます。
古典建築の教科書 コロッセウムの闘技場
この時期に建てられた建物として最も有名なものとしてはローマ市の中心部に建てられたコロッセウムがまずは皆さん思いつくのではないでしょうか。
直径188m、短径156mの楕円型平面、収容人数は約4万5千人ととても巨大な建築物です。
コロッセウム 写真:wikipedia
3層に積み上げられた外観はローマ建築の特徴であるアーチの連続により構成されています。
それぞれのアーチも下からドリス式、イオニア式、コリント式の柱により構成されており、その異様はまさに、古典建築の教科書として近世の建築に多大なる影響を与えています。
現代でもローマ観光の拠点としてもさることながら、日本ではテルマエロマエ等、様々な映画の舞台としても活用されており、ローマを代表する建築物として皆に親しまれています。
一大レジャー施設カラカラ浴場
様々な公共施設が建てられる中、ローマ帝国第22代皇帝カラカラはローマ市街の南端に浴場を中心とした一大レクリエーション施設(カラカラ浴場)の建設に取り組みます。
現代は遺跡としてしか残されていませんが、当時は娯楽、衛生、スポーツ、教養といった複雑なプログラムが十分に機能するように計画されており、ここに、実用を旨とするローマ建築の真髄が見受けられます。
カラカラ浴場遺跡 写真:wikipedia
カラカラ浴場想像図 写真:wikipedia
建物は明快な平面計画により構成されており、その中心には循環式入浴法に合わせて熱浴室、温浴室、冷浴室、大プールといった浴場所室が整然と並べられていました。それとともに、その周囲には、運動施設や図書室、講義室が配されたほか、公園広場も構築され、一つの都市としても喩えられる規模を誇っています。
想像図を見てみると、建物中央には雄大な交差ヴォールトの屋根が設置され、建物の要としてのその壮大さを際立たせている様子が見てとれます。
以後の教会建築の原型となるバシリカ建築
この頃建てられた公共建築の建築様式の一つとしてバシリカ建築があります。
サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂の内部
写真:wikipedia
ポンペイのバシリカの平面図 wikipedia
この形式の特徴は、長方形の建物で、短い辺の入り口を入ると長い身廊があり、左右の壁側には側廊がある平面計画が主流となっています。
上の写真や平面図からも見て取れると思います。
バシリカ建築は当初、裁判のための施設であったと考えられています。その後徐々に様々な集会や商取引にも使用されるようになり、多人数が使用する公共空間として定着していくことになります。
また同時に、教会建築の雛形としてもその姿を確立していくことになります。後日記載していきますが、中世に建てられる教会建築の多くはこのバシリカ様式が源流であるとされています。
闘技場や浴場、バシリカ建築の他にもローマ文明期には様々な公共建築が生み出されていきました。これらは全て実用を旨として建てられており、これまでにない現代に通じる都市構成が築かれていきました。
福祉の増進が飛躍的に進んだ時代でもあるといえるのではないでしょうか。
マルケルスの劇場 写真:wikipedia
トラヤヌス帝市場 写真:wikipedia
いいなと思ったら応援しよう!
