#2-3 大学生が「オリンピックの是非」について考えてみた
本当はオリンピックの前に書こうと思っていたが、怠惰ですっかり熱も冷めきった今になってしまった。北海道は雪さえ振り始めようとしている。
もはや次の北京五輪の話題が上がり始めている今日このごろである。
こんなに時間が空いてでも、未曾有の状況下での国家的イベントについて振り返ってみる意義は十分にある。
あれだけ開催前はあーだこーだ言っていたのに、終わってみればほとんど言及されることがないけれど、記録として残しておくことは大切だと思う。
開催前
オリンピック開催に伴う人流の増大によって、感染者増加が予測され、人命を犠牲にしてまでやるものなのかというのが、個人の意見でもあったし多くの人がそう思っていた(と記憶している)。
東京オリンピックは、誰のためのイベントなのか、という問は答えられることなくずるずると始めるまでずっと引きづられていった。
あくまでも政治的な手段でしかないのか。人命よりも経済が優先されるのか。
数え切れないほどの人が準備を進めていたから、今更やめられないという意見もわかった。でも国民からの批判を恐れてか、そう主張する具体的な名前は一度も聞かなかった。
アスリートのためと言って、より背後にいる大きな力を隠そうとするメディア。アスリートの立場的に開催して欲しいと強く主張できないのをうまく利用して。
開催の反対を公に主張する個人に対して、開催を主張する主体の姿が見えなかったことは考えるべきだろう。(もちろん一方的に批判するだけでなく、主張した際に起こりうる個人攻撃をする民度の高さは考慮すべきであるが)
ぶら下がっていた質問の答えが出ないまま、オリンピックは開催された。
開催後
ちなみに自分も興味ある競技はいくつかテレビで見たし、楽しんだ。
この瞬間のために想像もつかないくらい練習を重ねてきたアスリートの方々には尊敬しかない。
ただ開催前はあれだけ騒いでいたのにも関わらず、終わってみると日本の選手団の成績が良かったからか、ほとんど開催の是非を論じようとはしない。(すでに通り過ぎたものを評価しようとしない)
たしかに歴史上稀有な状況ではあるが、必ず振り返ってみる価値はある。
わかったこと
やって良かったという感覚がある人が多いのではないだろうか。(開催前は反対派が多数はだったような気がしたが)
まずここから言えるだろうことは、人は楽しければ昔の感情を塗り替えるということ。(ずっと文化祭の文句を言っていた人がその後めっちゃ楽しそうに語る的な)
そして修復可能なまでには、感染は拡大しなかった。(結果的にであるが)2つ目、専門家が言っていることは正しくならないことも多々ある。特に前代未聞の自体に対しては。
ずっと暗いニュースが続いていた中で、明るい元気をもらえるニュースを国民に届けることができた。
終わりよければ全て良し。(ただし注意しなければならないのは、終わりが良いという絶対的な条件があるということ、そしてそれは終わってみないとわからないこと)
今後に向けて
今後似たような状況が起きたときに備えて、どのような行動をとるべきなのかを今のうちから考えておく。
①専門家の意見はそこそこして聞く
ニュースとか聞いていればわかるが、専門家だからといって正しいとは限らない。専門家によっても立場や状況によって意見が変わるので、一意見ぐらいに考えていたほうが良い。
ただ少なくも自分よりは詳しい場合が99%なので、他の意見も入れた上で採用することも十分にある。
②未曾有の事態にあたってはリスクを多めに取る
今回は偶然(?)にもそこまで拡大しなかったが、もし爆発していたら取り返しのつかないものになっていた。
ほとんどのものは取り返しがつくが、命は取り返しがつかない。
リスクをすべて排除することはできないが、とってとりすぎることはない。
特に人命に関わる前代未聞の事態に関しては、後悔しても遅くならないように安全率を高めにとってよい。
③後悔しないような選択をする
一方でリスクを取りすぎていたら身動きがとれなくなってしまう。
そうならないためにも、より刺激的な人生を送るためにも、リスクをとることもときには必要である。
リスクをとるべきなのは、よろしくない結果になったとしても、後悔しないときである。
いかなる結果になったとしても正当化できるだけの行動を取れる覚悟を持てたときにだけリスクを取るべきである。
歴史というか起きたことを振り返るのは、今後に備えてすごく大切なことだと思う。人類にとっても個人にとっても。
これを教えてくれたのは、『コテンラジオ』という歴史系ポッドキャストである。
歴史が苦手だった僕も通学しながら大変楽しく聞かせてもらっているので、ぜひ歴史に興味がない人も聞いてみて欲しい。
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