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伊志嶺敏子さん vol.07

幕間:ネフスキーにムナイする

 取材滞在中。今日は夕刻に集まりがあるのだけど参加するかと伊志嶺さん問われて、ノコノコとついていった。ちょうど伊志嶺さんも出版に関わった本が受賞したとのことで、他の関係者に受賞報告をする集まりとのことだった。『ニコライ・A・ネフスキー生誕130年・来島100年記念文集・子ぬ方星(ニヌパブス)』という2022年に刊行された本で第44回沖縄タイムス出版文化賞にて特別賞を受けたとのこと。宮古の人々が協力し合って出版した本で、編集委員会代表を宮川耕次さんが務め、呼びかけ人として伊志嶺さんも関わったそうだ。

ネフスキー生誕130年・来島100年記念文集「子ぬ方星(ニヌパブス)」
第44回沖縄タイムス出版文化賞・特別賞受賞報告会(祝いの宴) レストランのむら

 ニコライ・ネフスキーとはロシア出身の言語研究者で、日本留学時に柳田國男らの民俗学の影響を受けて、アイヌ語や宮古方言を研究した人物だ。留学中にロシア革命が起きたため留学期間満了後も日本に留まり日本人と婚姻した。しばらく後にソ連に帰国するも、スパイ容疑による冤罪で妻とともに処刑されてしまっている。
 宮古方言を現地ではミャークフツ(宮古口)と呼ぶ。ネフスキーは、戦前の宮古島でさまざまなミャークフツや神話を採集した。現在の宮古人にとってもかけがえのない史料だという。

 伊志嶺さんからも話のなかでときどきミャークフツを教えていただいた。「アニギナ」は、素のままで飾らない様子。「ダズマダズマ」は、ゆるゆるでみっともない様子。「アラーカラユウ」は、あからさまに言うこと。その都度、メモしていたがとくに自分が今後使いそうな機会が見当たらない。とはいえ、ぜひ使ってみたい言葉もあった。ネフスキーも研究していた言葉だという。

「宮古ではムナイするって言葉があるんですよ。レモンをかじっている人を見て、同じように顔をしかめたりするでしょ。カンフー映画を観たあと、動きを真似し始めるとか。ロシアでは似たような言葉がなかったからネフスキーも興味を持ったみたい」と伊志嶺さんから教えていただいた。

 『子ぬ方星(ニヌパブス)』にも詳しい話が載っていた。野良作業中に足にちょっとした怪我をする。家に戻ると子どもの腕に小さな傷があった。こういうときにムナイしたと言うらしい。ムナイカジ(風)という言葉もあって、先日遭難して亡くなった人がいた方角から吹いている風を船乗りはそのように呼んだと記されている。当時の宮古の人々の世界観が表れている表現だ。現代となっては、ちょっとした時系列と因果関係の混同を含んでいることが分かるのだが、他者からの影響を受けることを指すぐらいの大雑把な意味合いなら現在でも問題なく使える言葉だ。西洋哲学用語で模倣を意味する「ミメーシス」に似た表現だなぁと思っていたというのもある。また、脳科学では「ミラーニューロン」と呼ばれる神経細胞がある。生まれたばかりの赤ん坊は、笑い方を教えられてもいないのに顔を覗き込む私たちの表情を真似て笑顔をつくる。どうやら先天的に人間の脳内に模倣のしくみが備わっているらしい。

 そんな感じで本の受賞祝いの席。関係者の皆さんと違って、私は宮古島に訪れたばかりで関わりのないまったくの門外漢である。肩身は狭い。宮古島名物の回し飲みであるオトーリならぬトーク・オトーリを始めるという。来場者ひとりずつスピーチしなければならないとのことで、何を話したらいいのかわからず非常に困った。今回、初めて宮古島を訪れたことでネフスキーについて知ることができた。そして宮古島の人々は彼の貢献を胸に留め続け、来島100年を祝って出版するほどの感謝と愛郷心に満ちていることを知ることができた。そんな場に居合わせてしまい私もムナイした。という感じのスピーチをした気がする。

 鉄は熱いうちに打てということで、ムナイした次の日さっそく漲水石畳道を訪れた。漲水御嶽から宮古神社へと上る坂道だ。古くから残っている道で、宮古島に上陸したネフスキーも歩いた道としてネフスキー通りの立札がされていた。石畳道を上り切った先の小さな広場の隣にはニコライ・A・ネフスキー之碑が佇んでいる。ネフスキーも見下ろしたであろう海を小一時間眺めた。

ニコライ・A・ネフスキー之碑


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