見出し画像

伊志嶺敏子さん vol.02

2.情念的か、構造的か

 少し抽象的な話から先に片付けておきたい。

 取材前、那覇市で建築の合同新年会のときに、伊志嶺さんが最初にしてくれた話が次のような内容だった。

「沖縄の上の世代の建築家と私が異なるのは、沖縄の風土を構造的に読み取って建築に取り入れようとしている部分だと思います。金城信吉さんたち世代は、どちらかというと情念的に沖縄建築を捉えているように感じます」

 「情念的」と「構造的」。抽象的な対比だと思う。その表現の違いは、伊志嶺さんがこれまでどのように沖縄建築を考えてきたかを理解するヒントになるかもしれない。

 たとえば、金城信吉さんは「那覇市民会館」や海洋博記念会場の「沖縄館」の設計に関わっている。どちらも、皆が「沖縄らしさ」を感じるようなデザインだ。1950~60年代の沖縄建築は住宅不足を補い生活を安定化させることに精一杯で、工業高校で学び基地建設等で培った技術先導で判で押したようなコンクリートブロック造の建物が多かった。そこには、戦前にあった沖縄の風景は無かった。だから、ある程度生活が安定してきた後の金城信吉さんたちは、自らのアイデンティティと向き合い土着のイメージを意識的に建築に取り入れ始めた世代といえる。沖縄の伝統建築で使われている赤瓦、石垣、ヒンプンなどの要素をデザインに取り入れることで郷土性を示したわけだ。

 伊志嶺さんは、郷土性を取り入れるという信吉さん世代のテーマを引き継ぎつつも批判的にアップデートして乗り越えようとしたのだろう。その経験もあって、それまでの建築を「情念的」と表現したと思われる。では、「構造的」というのは何を指し示しているのだろうか?

 情念的とは? 構造的とは? と、考えていたところ、宮古島出身の建築家である故・洲鎌朝夫さんの言葉を紹介する記事を書いたからと、伊志嶺さんが掲載誌を私の職場に送ってくれた。記事中には、まさに先ほどの疑問に関係しそうな言葉が書かれていた。

「赤瓦、雨端(アマハジ)、屏風門(ヒンプン)を一点、あるいはそのいくつかを組み合わせたところで、そう簡単に風水(フシン)を凌駕しうるわけではない。赤瓦を使えば地方色が出せたとする、その免罪符的納得は、先人の生活の知恵の集積に礼を失するというもので、理論的に消化したものとはいえまい」

『建築とまちづくり No.540 2024年4月号』(新建築家技術者集団)2024所収。
「私のまちの隠れた名建築 第26回 宮古島市総合博物館」

 つまりは、赤瓦、石垣、ヒンプンなどの「沖縄らしさ」を感じるような要素を散りばめれば、それだけで沖縄の風土に適した建築になるわけではない、ということだ。素材の持つ風合いや情景の背後にある「先人の生活の知恵の集積」を見過ごしたまま安直に取り入れることへの戒めとして「情念的」と評したのかもしれない。

 とはいえ、この「情念的」という言葉は世代的な違いを示すニュアンスも含んだうえで表現されたものだった。伊志嶺さんからはこの文章が自身の感性に近いと米須興文の『ピロメラのうた』の一節を送ってくれた。

「従来の沖縄人の沖縄観は、多分に自己没却的か、あるいは逆に、センチメンタルでナルシスト的なところがあった。その自己の実存の核へ冷たい眼を向けるようになったということは、沖縄人の知的前進とみてよいであろう」

米須興文『ピロメラのうた――情報化時代における沖縄のアイデンティティ』
(沖縄タイムス社)1991

 原文を参照したところ作家である大城立裕の『カクテル・パーティー』をはじめとした作品集に収められた沖縄人の描写に当てた言葉だった。さらに読み進めてみると、加害者と被害者という一方的な図式から、被害者でもあり加害者でもある複雑な自己像を扱い出したことに対して評している。つまりは、AかBかという二元論からAでありBでもあるような自己矛盾をも受容するような状態にも目を向けるようになったという変化が、伊志嶺さんの世代観にも合っていたということかもしれない。

 さまざまに思案して文章化した自分なりの読解を伊志嶺さんに送付したところ、折り返しの電話をいただいた。「構造的」というのは構造主義を意識した表現だという。

 構造主義といえば、サルトルの実存主義に代わって台頭したフランス現代思想を代表する思想だ。文化人類学者であるクロード・レヴィ=ストロースは、それまで歴史の発展から遅れ劣ったものとみなされてきた「未開」部族の思考様式にも現代の私たちからみても見劣りしない叡智が根底にあることを示した。構造主義はインセスト・タブー(近親相姦の禁忌)の研究から始まる。疾患を持った子どもが生まれるからという理解だけでは説明しきれない婚姻ルールが未開部族にはあるのだという。たとえば、父方の従弟とは結婚できないが、母方の従弟とは結婚できるなど。未開部族の細かく複雑な婚姻体系を、数学的に記述できることを示し、関連性が見いだせずよくわからなかった婚姻ルールの背後に通底した「構造」があることを示した。

 レヴィ=ストロースの言う「ブリコラージュ」が宮古島では生活の知恵として息づいていると伊志嶺さんは話す。ブリコラージュは器用仕事と訳されたり、日曜大工と表現されたりする。大雑把に説明すると、現在の建築の現場は設計して材料を調達し施工するという道筋を辿るわけだが、これに対してブリコラージュはその場で手に入るあり合わせの素材用いて試行錯誤のうえで組み上げていく様を指している。まさに、沖縄の伝統住居を築いてきた人々は、島で調達できる素材を風土に合わせてブリコラージュしてきたわけだ。どのような思想のもとで試行錯誤を重ねてきたのだろうか。

 「構造的」という表現が構造主義からの発想だとすれば、伝統的な住まいや生活、慣習、環境などの背後にある「構造」はどのように成り立っているのかという意識で沖縄建築と向き合ってきたということなのだろう。それを伺うことが今回の取材テーマとなりそうだ。

 沖縄の風土や建築について話すときに、伊志嶺さんは独特のキーワードを使っている。「緩衝帯(バッファー)」や「プライバシーのグラデーション」、「閉じつつ開く」などだ。これらのキーワードを理解するときには、指し示されている要素同士をどのような関係構造として捉えているのだろうかとイメージを描くと理解の助けになるだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?