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【ポルトガル】聖フルトゥオーソ・デ・モンテリオス礼拝堂

場所:ブラガ、ポルトガル
時代:7世紀 (西ゴート王国、スエビ王国時代)

左:スペイン・ポルトガルの国境、右:サンチアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路を示す

聖フルトゥオーソ・デ・モンテリオスの礼拝堂は、7世紀の西ゴート・スエビ王国の芸術の代表であり、何よりもポルトガルに現在まで残っている最も重要なプレ・ロマネスク様式の記念建造物です。ポルトガルの北部、イベリア半島初の宗教の中心地であったブラガ近郊に位置するこの礼拝堂は、聖フランシスコ修道院の敷地内にあります。「モンテリオス」という名称は「小さな山」を意味しています。ここを訪れたのは2005年9月でしたが、レンタカーでスペインのサモラからポルトガルへ入ってブラガンサ、シャベスと、かなり田舎の単調な山道ばかり走ってきたので、ブラガの都会の道はかなり迷いました。まだスマホのGoogleマップとかなかった時代なので、紙の地図が頼りでした。スペインとの国境にはまだEUができる前の検問所跡がありますが、必要がなくなった今は無人の建物だけが静かに佇んでいます。礼拝堂の場所はブラガの中心街からちょっと北のほうにあって、周辺は割と静かな場所だったと記憶しています。

聖フルトゥオーソ・デ・モンテリオス礼拝堂

その建築は、西ゴート王国の芸術に取り入れられたビザンティン様式の影響を受けています。西暦650年から665年にかけて、ブラガ司教であった聖フルトゥオーソによって建てられ、平面図はギリシャ十字のプランになっています。建物の均一でない部分は、イスラム教徒の占領中に破壊され、11世紀初頭に再建されたものです。聖フルトゥオーゾ礼拝堂にはまだ謎が多く、ギリシャ十字の形をしたイベリア半島に残る西ゴート建築特有な例として知られており、イタリアのラヴェンナにあるビザンティン時代の、ガッラ・プラキディア霊廟を模倣したものと言われています。1944年にはこの建物は国の記念物に指定されています。

聖フルトゥオーソ・デ・モンテリオス礼拝堂内部

今に伝わる歴史的文献や伝承によれば、礼拝堂の場所は元々はローマ時代の小さな別荘があったとされ、おそらくアスクレピオス神(ギリシャ・ローマの医学の神)に捧げられた神殿があったものと考えられています。西暦656年に当時ブラガ司教だった聖フルトゥオーソは、この地域で最も重要な宗教施設となった聖ソヴァール修道院(サン・サルバドル)をこの場所に設立しました。彼はまた、この礼拝堂と将来の自分自身の墓も建造しました。7世紀の修道士聖ヴァレールの記録によると、修道院を設立した聖フルトゥオーソは、665年か666年にここに埋葬されたと述べています。9世紀から10世紀にかけて礼拝堂は再建され、改装されました。
12世紀ごろのレコンキスタ(イベリア半島でのカトリック教徒の国土回復運動)の中で、民衆の間でキリスト教共同体が復活し、ブラガの聖フルトゥオーソへの関心が高まり、広く崇拝されるようになりました。1102年にはサンティアゴ・デ・コンポステーラ大司教によって、聖フルトゥオーソの遺体はここからコンポステーラに改葬されました。
現在、隣に建っている新しい聖フランソワ修道院は、聖フルトゥオーソ礼拝堂に繋がっており、1523年にスーザ大司教が聖サルバドルの古い修道院を壊して建てたフランシスコ会の修道院です。聖フランソワ修道院教会のほうはさほど古いものではないため中に入っていませんが、聖フルトゥオーソ礼拝堂の中は薄暗くガランとしており、現在は教会施設としては使っていないと思われます。石柱や柱頭の装飾は創設時の西ゴート・スエビ王国時代のものですが、地面にある墓の石板は中世のものだそうです。


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