【中国】銀山塔林
場所:北京市昌平区郊興寿鎮湖門村
時代:遼、金、元王朝時代(12~15世紀)
北京の有名な歴史的遺産といえば、誰もが知っている万里の長城、紫禁城、天壇などが挙げられますが、これらは中国の比較的新しい王朝である明・清時代のものなので、もっと古い時代のものを求めて北京市内から60kmほど北へ向かいました。銀山塔林という場所はそれほど外国人に知られていないのか、ここへ行くツアーはあまり多くはないようです。日程に余裕があって中国語ができる人は、バスなどの公共交通機関を使って安上がりに行くことができると思いますが、時間のない人は送迎付きのツアーがおすすめです。旅行サイトのViatorでは、北京市内のホテルから専用車で送迎してもらうタイプのツアーがありましたので、銀山塔林と、セットになっている万里の長城(黄花城長城)を見学することができました。
銀山塔林には、もともとこの周辺に建っていた寺院の僧侶の墓塔が18基残っています。そのうち高さ15m~20mの最も大きな5基の密檐式の塔は、金王朝時代の僧侶の納骨堂で、1145年に建てられた仏覚塔がいちばん古いものです。銀山塔林の由来ですが、もとは9世紀初めの唐の時代にこの地で隠遁生活をしていた僧侶が建てた華厳寺に始まり、その後の遼代(1095年頃)の宝岩寺、金代(1125年頃)の大延聖寺や鉄壁寺・松鵬寺など、そして明代(1437年頃)の法化寺となり、最盛期には72の寺院があったと伝わっています。
17世紀後半の清代になると自然災害などで荒廃が進み、1941年の日中戦争では、日本軍がこの近くにあった八路軍の基地を包囲した際、法化寺など周囲の寺院はほとんどが焼失し、大きな塔も5基だけになってしまいました。
高い塔のある場所から石段を登っていくと、僧侶が修行したであろう洞窟、大きな岩の説法台、小さな仏塔などの遺跡もあって、山の上からの見晴らしも良いのですが、さすがに蒸し暑いこの時期には結構きつい行程でした。
塔が建てられた遼、金、元はいずれも北方の遊牧騎馬民族による征服王朝で、特に契丹族の遼と女真族の金の時代には、銀山塔林にあるような独特の形状の仏塔が各地に建てられていて、それらは彼らの故郷に近い中国の河北省、吉林省、内モンゴル自治区など中国北方地域に集中しています。今回の旅行では、北京から内モンゴルのフフホトまで行きましたが、内モンゴルは東西に長いので、今度は内モンゴル東部を含めた旧満州に残る遼・金代の史跡を訪れたいと思っています。