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【モンゴル】カラコルム遺跡

場所:ウブルハンガイ県、モンゴル
時代:1235年

チベット仏教寺院エルデネ・ゾー
カラコルム都城跡

カラコルム(ハラホリン)は、首都ウランバートルから西へ360kmほど行ったところにあり、かつてのモンゴル帝国の首都だったところです。ウランバートルから行くには日に1本だけの11時発のバスしかなく、通常で5時間半くらいかかるそうですが、道路事情によっては8時間くらい覚悟しなければなりません。私が行ったときがまさにそうで、ちょうどナーダム祭が始まる前だったので、ウランバートル市内だけでなくハラホリンまでの道路も最悪で、相当な渋滞でした。また通常は当日でも乗車券が買えるようですが、念のため2日前にホテルから予約を入れてもらったのは幸いでした。祭りの時期だったためバスは満席で、当日では乗車券は買えなかったと思います。バス乗り場はウランバートル市の西にあるドラゴンバスターミナルと聞いていたので、ホテルから早めにタクシーで向かいました。出発1時間前に再度ターミナル内の案内所で確認したところ、現在ハラホリン行きのバスは、さらに西にある新ドラゴンバスターミナルからの出発だということを知り、炎天下を約30分以上歩く羽目になってしまいましたが、なんとか間に合いました。バスは途中1カ所だけですが、30分ほど食事とトイレ休憩がありました。トイレは深い穴の上に板を敷いただけの、いわゆるボットン便所です。こうしてハラホリンに着いたときはすっかり夜になって、と思っていましたが、今の時期は夜9時くらいまで明るいので、迷わず予約していたゲストハウスに着くことができました。

カラコルム都城跡
左:小さな仏塔、右:見晴台

ハラホリンは草原の中にあるこぢんまりとした街で、高いビルはありません。街の中心部とその周囲にある史跡(カラコルム都城、エルデネ・ゾー、博物館など)は歩いて回れます。カラコルムはチンギス・ハーンが征西する際の基地を設営したのが始まりで、第2代ハーンのオゴデイが1235年に城壁と宮殿を築いたことで、モンゴル帝国の首都となったそうです。そしてここを起点にした駅伝制により、征服された各地との交流が始まり、次期ハーンを決めるなど帝国の重要会議であるクリルタイを開催する場として発展しました。しかし第5代フビライが大都(北京)に遷都した後は、次第に衰退していきました。この後も明朝建国後に北に追われたモンゴル族(北元)の首都として存在してきましたが、16世紀末ごろからは歴史の表舞台から姿を消しました。

モンゴル時代の亀趺
モンゴル時代の亀趺

カラコルム都城跡は、世界遺産に登録されたオルホン渓谷の文化的景観を構成する物件のひとつとのことですが、現在遺跡にはほとんど何も残っていません。16世紀のチベット仏教寺院であるエルデネ・ゾーのすぐ北側の草原が旧都のあった場所ですが、当時を偲ぶものといえば、古代中国の亀に似た伝説上の神獣「亀趺」の石像だけで、上部にはほぞ穴が開けられていて、かつては記念碑(石柱)が建てられていました。この亀趺は長さ2.6m、幅1.25m、高さ1.1m、重量は10トンもあることから、かなり大きな碑の土台だったと思われます。他には近代に再建された大小の仏塔がポツンと建っているのと、見晴台から草原を眺めつつ、かつてマルコポーロもはるばるやってきたであろうこの場所に思いを馳せる以外ないので、モンゴル帝国の壮大な遺跡を期待してきた人はちょっとがっかりかもしれませんね。

大きな仏塔
小さな仏塔


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