【ドイツ】アーヘン大聖堂 (1回目)
場所:ドイツ西部、アーヘン
時代:カロリング朝フランク王国(8~9世紀)
アーヘン大聖堂は、かのシャルルマーニュ大帝が8世紀末に建造した宮廷礼拝堂で、今日まで残っている数少ないカロリング期の建造物のひとつである。アーヘン(エクス・ラ・シャペル)には泉が多く、すでにローマ時代から軍の駐屯地として温泉設備のある建物があり、メロヴィング期にはキリスト教の礼拝所と墓地があった。
現在の大聖堂は後代に増改築されているが、カロリング期のものは中央部分の外壁16角形、内壁8角形の建物(パラティーノ礼拝堂)で、ラヴェンナのサン・ヴィターレなどビザンティン様式を模して795年から803年にかけて建てられたもの。814年に大帝が死んだ後、この聖堂内に墓所が造られたと言われている。神聖ローマ皇帝オットー3世が1000年に堂内を発掘し、掘り当てて改葬したという記録があり、またその後、1165年にはフリードリヒ1世バルバロッサが再度大帝の墓を発掘している。実際に大帝の遺体が見つかった詳細な場所は現在も不明だそうだが、1910年の調査で内壁南東部の壁の中に空洞が確認されたことから、そこだった可能性が高いらしい。
それにしても内装のモザイク装飾はとても煌びやかで、当初のカロリング朝のデザインに後代のゴシック調の装飾、19世紀以降のビザンティン式のモザイクが融合した光り輝く大聖堂になっている。聖堂の中心をなす8角形の礼拝堂の天井は、高さ31.5mのドームになっている。2階部分のアーチを支えるように立っている石柱は、古代のものを転用したものである。礼拝堂中央部に吊り下げられたシャンデリアは、フリードリヒ1世バルバロッサに寄贈により、1170年に製作されたもの。
アーヘンはオランダとベルギーの国境に近く、別の目的で行った旅行のついでに寄り道したこともあって、すでに計3回訪れている。ユネスコの世界遺産の制度は1978年に登録が始まったそうだが、この年世界で12カ所登録された第1号の中に、このアーヘン大聖堂も入っていることは全く知らなかった。この大聖堂は比較的大きな都市アーヘンにあり交通の便も良いが、それ以外の中世初期、初期キリスト教時代の現存する建造物は多くが僻地にあり、車があればどこでも行ける。逆に言えば車がないと訪れるのが難しいところが多い。そのため2001年以来、西ヨーロッパへの旅行ではほとんどレンタカーを使っているので、どんな辺鄙な場所でもここはと思うところがあればすぐ寄り道できて、とても便利だった。
ちなみにアーヘン大聖堂への入場は無料だったが、内部の写真を撮る場合は有料となり、そのときにもらう支払い済みの証である紙の腕輪をつけておけば、遠慮なく写真撮影できる。聖堂の2階部分にはシャルルマーニュ大帝の玉座があるが、聖堂内のガイド付きツアーに参加すれば見ることができる。まだ書き足りない部分は、2回目記事に掲載予定。