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【ドイツ】コンスタンティヌス大聖堂

場所:トリーア、ドイツ
時代:4世紀 (20世紀再建)

コンスタンティヌス大聖堂 (後陣)
コンスタンティヌス大聖堂 (西側壁面)

トリーアの街中に残っているローマの建築物「コンスタンティヌス大聖堂」は、もともと西暦305年にコンスタンティヌス大帝によって建造された、ローマ皇帝の宮殿「玉座の間(アウラ・パラティーナ)」でした。5世紀になって西ローマ帝国が滅んだ後は、メロヴィング朝フランク王国の支配下に入りましたが、すでにローマ時代のような高度な建築技術は失われ、その後は荒廃した時期もありました。しかし12世紀からはトリーア大司教の住居兼城塞となり、17世紀には選帝侯の宮殿として新たに建設された建物に統合され、塔なども追加されて古代の姿とは大きく変わり、軍事用(兵舎)としても利用されました。1835年にはプロイセン皇太子、後の国王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世の所有となり、国王は1856年にローマの玉座の間をプロテスタント教会として再建させました。しかし残念ながら第二次世界大戦中の1944年8月、連合軍の空襲により大聖堂は大半が焼失し、部分的に外壁だけが残りました。1953年から福音教会として再建が始まり、もとのローマ宮殿を彷彿とさせるように建設されました。

大聖堂入り口
大聖堂内部

聖堂内部の大きさは長さ67m、幅27.5m、高さ33m、壁の厚さは2.7~3.4mという巨大な空間で、柱のない部屋としては古代最大のもののひとつで、かつては厳しい冬の寒さに備えて床暖房も装備されていたそうです。実際に建物に近づいてみて気付いたのですが、建物の外壁などとてもローマ時代のものとは思えない、かなり真新しかったのは、戦後に再建されたものだからでした。全部ではないにしても、そこそこ古代の建造部分が残されているのではないかと思っていましたが、第二次大戦での破壊は凄まじかったようで、床下や窓枠の漆喰、外の城壁など本当にごく一部しか残っていませんでした。

大聖堂と選帝侯宮殿
ローマ時代の石壁

現在は建物は、救世主福音教会として礼拝スペースとなっているため、どこの教会もそうですが、礼拝やイベントがあるときは一般観光客は入場できません。しかも他のカトリックなどの教会と違って、見学のために入場できる時間がかなり限られていると思います。特に冬季は午前中2時間、午後2時間と短いので、訪れる際は時間を確認したほうがよいと思います。

左:各時代の建物プラン、中:建物のミニチュア、右:ユネスコ世界遺産のプレート
トリーアの中心街からみた大聖堂 (奥)


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