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【スペイン】サン・ミゲル・デ・エスカラーダ修道院

場所:ビリャモンドリン・デ・ルエダ、レオン県
時代:9世紀末

サン・ミゲル・デ・エスカラーダ修道院 (正面)
サン・ミゲル・デ・エスカラーダ修道院 (建物側面)
サン・ミゲル・デ・エスカラーダ修道院 (建物後方)

サン・ミゲル・デ・エスカラーダ修道院は、レオン市から東へ約27kmのサンティアゴ巡礼路上にあります。現在、修道院は寺院の建物のみが残っています。修道院は9世紀末のアストゥリアス王アルフォンソ3世(在位866~910年)の治世中に、コルドバのキリスト教修道士のグループによって設立され、アルフォンソ3世の長子ガルシア1世(初代レオン王、在位910~914年)が父王アルフォンソ3世からレオンの地を受け継いで、その治世の終わりごろに当たる913年に建立されたものです。ガルシア1世はオビエドからレオンの町に移り住みました。王の支援を受けた修道士らは、イスラム支配のコルドバ首長国からレオン王国のこの地に移住し、修道院長アルフォンソの指導の下、大天使聖ミカエルに奉献された修道院がイスラム支配下で荒廃していた西ゴート教会跡の上に建設しました。現在でも建物の壁には、西ゴート時代の碑文を含む再利用された墓石などを見ることができます。1968年に行われた発掘調査では、西ゴート教会の後陣の基礎部分がロマネスク様式の礼拝堂の地下で発見されましたが、この場所にはもともと初期キリスト教建築に起源を持つローマ時代後期の神殿があったそうです。

ポルチコ
建物後方に残る建物の土台部分
サン・ミゲル・デ・エスカラーダ修道院 (遠景)と乗っていたレンタカー

南側に張り出しているポルチコ(柱廊構造の玄関)は、サン・ミゲル・デ・エスカラーダの特徴のひとつで、長い12連もの馬蹄形アーチをもっているイスラム・カリフ様式のプレ・ロマネスク建築で、10世紀のモサラベ美術の代表的な建物となっています。モサラベの建築家によるものだけに、アーチの形状や正面の構えもまるでモスクのような雰囲気があります。ポルチコの工事は西側から着手されていて、たくさんある円柱のうち7本分が10世紀(930~940年頃)に作られたものです。残り半分の東側とそのさらに東側に建っている鐘楼と祭室は、11世紀後半のロマネスク様式のものです。ポルチコの柱頭をはじめ、内部のアーチなども様々な場所から流用された古い部材が使われています。多くは当時のモサラベの彫刻家による作品が使用されていますが、西ゴートやアストゥリアスの建築物から転用されたものもみられます。このように建設資材が近くで見つかってリサイクルすることで費用があまりかからなかったため、大きな建物にもかかわらずわずか1年で完成したそうです。その後、後ウマイヤ朝のカリフであるヒシャーム2世の宰相アル・マンソールが率いた軍勢による襲撃を受け、修道院は損傷しましたが、1050年には復興し、南東部に祭室つきの鐘楼を増設しました。現在残っている教会堂と鐘楼は、この時期の姿のままと言われています。

モサラベ様式のアーチ
モサラベ様式のアーチドア
モサラベ様式のアーチ窓

ここを訪れたのもサン・フアン・デ・バニョス教会と同じく、2005年9月でした。レオン近郊ですが、30km以上離れているのでレンタカーがあれば便利です。修道院に着いたら周囲は何もない乾燥した荒野でした。何もないところに突如このような大きな建物が現れるのは、ちょっと感動的でした。私が訪れたときは、他には1組の家族連れだけでしたが、月曜日だったので残念ながら内部の見学はできませんでした。ここもまだこの時1回だけしか訪れていないので、機会があれば再訪するつもりです。

リサイクルされた墓石が埋め込まれた修道院壁面
発掘された石棺


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