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【スペイン】サンタ・マリア・デ・メルケ教会

場所:サン・マルティン・デ・モンタルバン市北、トレド県
時代:西ゴート王国時代(7世紀後半)

サンタ・マリア・デ・メルケ教会正面から
サンタ・マリア・デ・メルケ教会側面から

サンタ・マリア・デ・メルケ教会(Ermita de Santa María de Melque)は、スペインのトレド郊外にある古代の教会遺跡です。西ヨーロッパに現存する中世初期の完全なアーチ構造の教会としては、最大のものと言われています。この教会を含む「メルケ教会史跡群」は、現在にまでイベリア半島に残された最古の修道院複合施設で、周囲の城壁、修道士が住んでいた住居建物跡、ローマ起源の古代のダム、そしてメルケ教会で構成されています。もともとこの場所には、古代ヒスパニアのローマ人居住地があり、小さな岩山を囲む2つの小川にはローマ時代からダムが築かれていました。このダム遺跡も教会のすぐ近くにあるとのことですが、訪れた当時知らなくて見ることができませんでした。最近修復されたばかりのこの教会は、西ゴート=モサラベ様式の典型的な建築で、スペイン中世初期の最も重要な宗教的建造物として際立っています。もとは西ゴート王国の首都トレドの高位の人物を埋葬するための霊廟であったとも言われています。現在施設内の教会には、それに隣接するビジターセンターが設置され、この地域と教会についての詳しい説明や写真を見ることができます。その内容は、メルケ教会の地理的および文化的位置、キリスト教の起源と西ゴート王国およびモサラベ時代の教会の特徴が説明されています。

ビジターセンターと教会復旧前の古写真
教会複合施設の案内図
近郊で発掘された石棺 (12~13世紀)

サンタ・マリア・デ・メルケ教会は、当時のキリスト教トレド教区内の修道院として誕生しました。建設は7世紀に始まり、その建築技術は後期ローマ建築を直接継承し、その後の西ゴート様式とモサラベ様式の特徴もみられます。しかし西ゴート王国の終焉となったアラブ人の到来とともに建設は中止され、後に再開されましたが、その後の建設には、軍事要塞としての中近東(ウマイヤ朝)の影響を受けていると言われており、8世紀にはこの地メルケにイスラム教徒の居住地があったようです。そうしたイスラム教徒によって征服されたにもかかわらず、メルケ教会修道士の共同体は8世紀末までキリスト教の崇拝を維持していたと言われています。しかしその後に起こった騒乱により、教会の建物はイスラムの要塞として再利用されることになり、翼廊の上に塔が建てられ、外から上れる階段が作られました。1085年にレオン・カスティーリャ王国のアルフォンソ6世がトレドを征服すると、メルケ教会は軍事要塞としての機能を失うことなく、再びキリスト教の礼拝堂として復旧しました。レコンキスタ当時、カスティーリャ王国に建てられた教会は、すでにロマネスク様式であったため、このメルケ教会がレコンキスタ後のものであるとは考えられないことから、メルケ教会は確実にイスラムの侵略前、つまり西ゴート時代に建設されたのは確実とされています。

天井のドーム
厚く強固な壁
モサラベ風の窓
教会周囲の建物跡

さて、教会のある場所はトレドの南西サン・マルティン・デ・モンタルバンという町の近くなのですが、荒涼とした荒野の中にポツンと建っているという感じで、訪れるには車を雇うか、レンタカーが必要です。私がここを訪れたのは10年前の2014年9月でしたが、この周辺を車で走ったときは、小雨にもかかわらず乾いたような黄土色の大地で、農地も少なく、高い樹木がほとんどない殺風景な景色が延々と続いていたのですが、おそらく今もそれほど変わっていないと思います。しかし今は、当時より高性能になったスマホのGPSでナビアプリを使えば、自分で訪れるのも全く難しくないでしょう。ただ私の訪れる場所は、必ずしも万人向けばかりではありません。この教会も、古代建築や西ゴート史、教会史などに興味のない人には面白くないと思いますので、あしからず。


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