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【栃木県】那須国造碑

場所:栃木県大田原市湯津上
時代:700年、飛鳥時代

那須国造碑は、宮城県の多賀城碑、群馬県の多胡碑と並ぶ日本三古碑のひとつで、昭和27年に国宝に指定されている。碑は689年、那須国造に任ぜられた那須直葦提の没後、子の意志麻呂らが父の業績を偲んで700年に建立したもの。碑文では国造に任ぜられた689年を、本来日本の元号にはない永昌元年としているが、これは686年の天武天皇崩御により701年の大宝元年まで元号が停止していたため、代わりに唐の元号を用いたものと考えられている。碑は長年土中に埋もれていたが、1676年に僧侶によって発見され、那須郡を治めていた当時の水戸藩主徳川光圀が笠石神社を創建し、碑を保護した。なお埋もれていた際、偶然碑文が下になっていたために文字が風化せず、きれいに保存されたと推定されている。

笠石神社
那須国造碑案内板
この奥の堂内に碑が安置されている

現在は笠石神社の御神体として祀られており、神社に依頼すれば堂内に安置された碑を直接見ることができる。ただし御神体でもあり写真撮影は不可だった。大田原市なす風土記の丘湯津上資料館(神社から南へ約900m)へ行けば、複製の碑を撮影することができる。

那須国造碑複製 (大田原市なす風土記の丘湯津上資料館)

神社と資料館の間には、侍塚古墳群という、元は10基以上あったが現在は8基からなる、6世紀に築造された古墳が点在している。1692年には、徳川光圀の命により那須国造碑との関連を調査するため、日本で最初の学術的な発掘調査が行われたが、碑との関係を示すようなものは何も出土しなかった模様。

侍塚古墳群

笠石神社を訪れたのは2019年3月で、レンタカーで行った。最寄りの駅だとJR宇都宮線の西那須野駅になるが、神社までは17kmほどと結構距離があるのと、かなり田舎なのでやはり車がないと不便である。神社ではあいにく神主さんが不在だったが、奥様に案内していただいて、碑を見学することができた。

那須国造碑 (笠石神社)の位置

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