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【EP2-4】「君の音楽が欲しいんだ」|アッバンドーネはまだ知らない

Arcanamusicaスピンオフ小説② 「アッバンドーネはまだ知らない」(伊調 弦八&川和 静)

著:衣南 かのん

4.

 高等部に進学する同級生たちと別れて、普通科の高校に進んで。

 音楽を離れたら楽になるかと思っていたのに、そんなことは全然なくて——学校に馴染めないまま、半年が経った頃のことだった。

 あの人に、出会ったのは。


「……美しい音色だね」

 ゆったりと柔らかな声色に顔を上げると、知らない男性がそこにいた。

 平日の午前中。普通なら学校に行っている時間だけど、今日はどうしてもそういう気分になれなくて、学校帰りのレッスン用に背負っていたバイオリンを持ったまま伊調いちょうは家と学校のちょうど中間地点にある公園を訪れていた。

 ちょうど隙間の時間なのか、誰もいないことが心地よくて、気まぐれにバイオリンを取り出し弾き始める。外で弾くのは、ほとんど初めてだった。

 湿気の多い日本の気候はバイオリンには大敵で、外で演奏することなんてほとんどない。だけど今日は涼しいし、秋に入り立ての穏やかな気候で空気もほどよく乾いている。
 これくらいなら大丈夫だろう、と思った。

 弾く曲は特に決めていなくて、気まぐれに好きな曲を何曲か。その人が声をかけてきたのは、伊調がちょうど『G線上のアリア』を弾いている時だった。


「でも、珍しいね。ヨーロッパではよく見るけど……日本ではこんなふうに偶然素敵な音楽に出会える機会は少ないから、少し残念だなっていつも思っていたんだ」

「え、っと……」

「ああ……ごめんね、つい。君の音色の輝きが、とても美しくて」

「輝き……?」


 何を言っているんだろう、と思った。

 だけど目の前の男性は微笑みを浮かべながらも、至極真面目に曲の感想を続ける。

「今の、『G線上のアリア』だよね。弓の運びはとてもしっかりしているのに、音色はとても繊細だった。
ダイヤモンドというよりは、そうだな……オパールのように表情豊かで、クンツァイトやトパーズのように淡く、日光の中で静かに輝くような……ね」

 つらつらと語られる言葉の、半分も意味がわからなかった。どうやら何か、宝石の名前を並べていることはわかったけれど……今、どうして宝石が出てくるのかもわからない。


「あの……どなたですか……?」


 知らない男性と会話をするリスクよりも、ほんの少し、興味が勝ってしまった。
 それは彼が、意味はわからないながらに伊調の音楽について語ってくれていたからかもしれない。


「ああ……ごめんね、急に。俺はこういうものなんだけど」

 差し出されたのは名刺サイズのカードで、そこには『designer Juna Madarame』と銀色の筆記体で書かれていた。

 名刺というにはあまりにもシンプルなそれに、伊調はもう一度首を傾(かし)げる。


「ジュナ……さん?」

斑目まだらめジュナ。ジュエリーデザイナーをやっているんだ。そのせい……というわけではないんだけど、どうも俺は、輝くものに弱くてね」

「宝石ってこと……ですか?」

「ふふ、宝石も、原石のままでは君が想像するような輝きは持っていないんだよ。そうじゃなくて……そうだなあ、人自身が持っている、輝き……かな?」

「??」

「なんというか、俺は人が奏でる音が……そうだね、宝石や輝石(きせき)のように、輝いて見えることがあるんだ。
今日はこのあたりを少し散策していたんだけど、そうしたらなんだかキラキラと輝くものが視界に入ってね。辿ってきたら、君がいたってわけ」

「音色が、輝きに……?」


 そういえば中学の頃学んだ楽典に、歴史に残る作曲家たちの中には『色聴』といって、音を聴くと色を感じる人たちもいた、という話があった気がする。

 同級生の一人が、「自分も、ドレミファソラシドが虹色に感じる」と言っていたので……もしかしたらこの人も、そういう類の人なのかもしれない。
 輝き、という言葉も、それで自分の音色を表されることにもピンとこなかったけれど……そう考えると、少しだけ納得できた。

「君の輝きは、俺がとても好きな輝きによく似ていたんだ。……つい、懐かしくなってしまったよ」

「僕の……ですか」

「うん。君の音楽は、とても素敵だね。俺の好きな音楽だ。ねえ、よかったらもう一曲、何か聴かせてくれないかな?」

「えっ……」

 知らない人からそんなことを言われたのは、初めてだった。
 お手本に弾いてみせてほしいとか、或いは一緒に弾いてみようとか……そういうことは今までだって、たくさんあったけれど、それはきっとみんな、伊調家の音楽を求めてのことで。

(僕の音を……聴きたいって、言ってくれている……?)

「急すぎたかな?」

「あっ、いえ……えっと、じゃあ、」


 もう一度バイオリンを構えて、弓を引く。なんだか胸がドキドキして、いつもよりも落ち着かない。
 コンクールのステージに立つときとは少し違う、高揚感からくる鼓動の音は、どうにも慣れないけれど……嫌じゃ、なかった。

 軽い一曲を弾き終えると、斑目はパチパチと拍手をしながら「やっぱり、いい音色だね」と笑ってくれた。


(僕の音楽を、いいって、いってくれた……)


「君の名前は? 聞いてもいい?」


 その言葉に、わずかに肩が強張る。
 斑目はクラシックに通じている様子はないが、それでも伊調の名前はどこかで聞いたことがあるかもしれない。

 せっかく自分に向けてくれていた言葉がまた塗りつぶされてしまうような怖さと、それでもこの人なら、もしかしたら、という期待がせめぎ合う。

「……弦八つるや、です」

「弦八?」

「はい。……伊調、弦八です」

「ふぅん……ふふ、綺麗な響きの名前だね」

「あ、ありがとうございます?」

「それじゃあ……弦八」

 弦八、と、斑目はそう呼んでくれた。伊調の方ではなくて。
 それだけでも、伊調にとっては十分だった。

「よかったら、また、君の音色を聴かせてくれるかな?」

「えっ」

「実は今、新作のアイディア出しをしているんだけど……少し、行き詰まっていてね。弦八の音楽を聴いていると、いい輝きを描けそうなんだ」

「僕の……?」

「そう。君の音楽が欲しいんだ」


 自分の音楽を認めてもらえること、必要とされることがうれしかった。
 斑目の視線の向こうに、別の誰かがいたとしても。


   *


「歌……ですか?」

「そう。面白いアプリを見つけてね」


 そう言って斑目が見せてくれたのが、伊調と『アルカナムジカ』の出会いだった。

 歌を録音して、そのまま配信できるアプリ。珍しい仕組みではないけれど、斑目が面白がったのはそのアプリの閉鎖性だった。

「俺の場合、ある日突然このアプリがダウンロードされていたんだけどね。調べてみたら、このアプリを使うには会員の招待が必要らしいんだ。
まだプレオープン状態で、配信している人間も少ないんだけど……面白いと思わない? 
まだ知らない輝きが、このアプリの中で見つけられそうだよね」

「え、てことは……ジュナさんも、何か配信してるんですか?」

「いや、リスナーとしての登録でも構わないみたいなんだ。だから今のところ、俺は聴くだけ」

「あ……そうなんですね」


(びっくりした……)


 斑目が歌っているなら、ぜひ聴きたいと思ったけれど……斑目がこのアプリを紹介した意図は、どうやら自分が配信しているから、というわけではないらしい。

「弦八も、良かったらやってみない? 歌」

「え」

「君の音楽が、歌になると……そして、こういう媒体を通すとどんな輝きになるのか、興味があるんだ」

 数ヶ月付き合ってわかったのは、斑目は自分の興味にどこまでも貪欲な人である、ということだった。弦八のバイオリンの音色にしても、曲によって、その日の体調や天気によって、様々に見え方が変わるらしく、その変化を楽しんでいる。

 だからこれもきっと、斑目の興味の——そして、ある意味研究のようなものの一環なのだろう。

 求められることがうれしくて、歌なんてやったことないけれど伊調は了承した。
 斑目に、また褒めてほしかったから。


「招待用のダウンロードURLを送ったから、何か配信してみたら教えてね。楽しみにしているよ」

「はい、わかりました」


 帰ってから、すぐにアプリに登録してみた。
 アプリ内は基本的に匿名での配信を推奨していて、アルカナネーム、というものを設定する必要があるらしい。

 迷った末に、名前は『アリア』にした。
 斑目と最初に出会った時に弾いていた曲。斑目に、初めて自分の音楽を見つけてもらった時の曲。

 歌は斑目のために歌うのだから、これ以上ない名前だと思った。

 登録してしばらくすると、「お試し楽曲プレゼント」としてワンコーラス程度の楽曲が運営から用意された。何を歌おうか悩んでいたから、ちょうどいい、と思ってそれをまずは歌ってみることにした。

 スマホから流れてくる音楽に合わせて歌う、というのは慣れなかったけれど、何度かやったら自分なりのコツを掴めるようになった。
 歌も、初めてではあったけれど色んな人の歌を見聞きして、うまいと言われるために必要な要素は入れられたと思う。

 少し緊張しながら配信ボタンを押して、なんだか落ち着かなかったからその日はそのまま眠ることにした。




 そして、その翌日。
 アプリを開くといいね機能としてのbetやコメントがたくさんついていた。

 betはともかく、コメントは少し開くのに躊躇って——だけどここに、自分が伊調弦八だと知っている人はいないはずだから、と勇気を出してのぞいてみた。

「透明感のある声で素敵」「女性? 男性? 繊細な歌声ですっごく好き!」「歌も上手だし、声もいいし、すぐにフォローさせてもらいました! 次も楽しみにしています」……並ぶコメントの中には、当たり前だけどあの日見たように『伊調』の名前は一つもなかった。

 すぐに自分のページをコピーして、斑目へのメッセージに張り付ける。「歌ってみました」と一言だけ添えて、ドキドキしながら送ったメッセージにはすぐに既読がついた。

——さすが弦八だね。君の輝きが、よく見えたよ。素敵な歌だった——


「……やった!」


 斑目からのそのメッセージは、どんなコメントよりも伊調にモチベーションを与えてくれた。

 もっと歌って、もっと、ジュナさんに喜んでもらおう。
 このアプリの中に、アリアとしての居場所を見つけられたような気がして。

 ここでなら、歌でなら、もしかしたら——本当に自分の音楽を見つけられるんじゃないか、って。


 甘い期待感の中で、伊調はそれからも何度か、歌を配信した。
 配信するたび、betも、コメントも、フォローしてくれる人も増えていった。

 だけど配信するたび、斑目の感想は少しずつ、伊調が求めているものとは離れていって——



「知人がどうやら、アプリを始めたみたいなんだよね」


 と、斑目からうれしそうな報告を受けたのは伊調がアプリを始めて数ヶ月後のこと。
 その日から、斑目はその知人——RiZリズの話をすることが、とても多くなった。


 話を聞いていくうちに、『RiZ』というその歌い手は、どうやら斑目が以前から話していた、最初に歌に興味を持ったきっかけの人物なのだろう、ということはわかった。

 川和静かわわしずか、という名前も、この数ヶ月の間に何度か聞いていたから覚えていた。

 斑目の、小学校時代の同級生であること。
 現在は時々、どこかのバーで歌っていること。

 斑目が最初に輝きを感じた人物で——彼にとって、特別な一人であること。
 そして、その川和静の歌の輝きこそが、最初に斑目が伊調のバイオリンを聴いた時に語っていた「懐かしく、とても好きな輝き」なのだということ。
 

 斑目が見ているのも、結局は、伊調自身ではないのかもしれない、というのは、気づいていた。

 だけど、あの日の言葉が、どうしても忘れられなくて。


『君の音楽が欲しいんだ』


 それは、伊調をもう一度音楽に繋ぐ言葉だったから——……



To be continued…


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