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【SS 01】「彼女の場合」|Arcanamusica
SHORT STORY #01 「彼女の場合」
著:衣南 かのん
とんとん、と肩を叩かれる気配に顔を上げると、同じ講義を取っている友人が目をキラキラさせながら私を覗き込んでいた。
「何聴いてるの?」
ワイヤレスイヤフォンを外して、私はサブスクで使っている音楽配信アプリの画面を見せる。「あっ、これ私も使ってた~」と弾んだ声をあげながら、彼女は私の隣に座った。
「普段どんな音楽聴いてるの?」
「うーん……おすすめで流れてくるやつ、適当に」
「えー、そうなんだぁ。あっ、じゃあじゃあ、おすすめあるんだけど!」
楽し気に笑いながら、彼女は自分のスマートフォンを取り出してとあるアプリを開いてみせた。
「……『アルカナムジカ』? って、何? アプリ?」
「音楽配信のアプリだよ! サブスクとかじゃなくて、基本的には全部無料なの」
「へえー……」
(最近多いなぁ、そういうの)
動画も音楽も、ありとあらゆるアプリが溢れていてなかなかついていけない。
流行に疎いほうだという自覚はある。反面彼女はそういう流行にも常に敏感なタイプだった。
「普通の配信サイトじゃ聴けない曲とか、ここでしか活躍してない歌い手の人もいてね。私のおすすめは……あっ、この人! ダパレ!」
「……ダパレ?」
彼女が見せてくれた画面には、闇殿≪ダークパレス≫という名前と『その魔王殿は悲しい程にルルルルル—。』という曲名が表示されていた。
「ダークパレスっていう名前なの?」
「そうそう! 長いからみんなダパレって呼んでるんだけどね」
彼女はそのダパレという人の曲を随分聴き込んでいるようで、どのフレーズがいいとか、どの歌い方が好きだとかいう話を熱く語ってくれる。
ひとしきり語り終えると、彼女がふいに声を潜めて、身を乗り出した。
「でね、実はダパレって、マイミーじゃないかって話があるんだよね?」
「マイミーって……」
マイミーは、彼女が推している配信者の名前だ。しょっちゅう彼の話を聞くから、私にも聞き馴染みがある。周りには彼女以外にも結構マイミーを推している子たちがいて、彼女たちは自らのことをマイ民と名乗っているらしい。
雑談や美容系のトークが中心で、彼女に勧められて一度だけ見たことがあるけれど、綺麗な顔の男の人だな、という印象だった。
「ダパレもマイミーも、何も言ってないんだけどね。声がめちゃくちゃ似てるし。ダパレが出してるもう一つの曲に呪文みたいな言葉が入ってて……それがもしかしてマイミーの本名かも!? なんて言われてるんだよね」
「へー……」
興奮する彼女に対して、あまりにも平坦な返事しかできない自分が悲しい。
私にはいわゆる推しと呼べる存在はいない。
だから、こんなふうにいつも誰かへの好きという感情を熱く語ってくれる彼女の話は、うらやましくもあり、楽しくもあった。
「そうだ、良かったらアルカナムジカ、入れてみてよ! ダパレだけじゃなくて色んな人の曲があるし、このアプリでしか聴けない曲ばっかりだから……絶対、好きな曲が見つかると思うよ」
頷いて、早速アプリストアを検索してみる。けれど、該当のアプリは出てこなかった。
「あれ、検索しても出てこない……」
「あっ、そうだった。アルムジって招待制なんだよね。アプリユーザーに教えてもらえるURLからじゃないと、ダウンロードできないんだ」
随分珍しい仕様だな、と思った。
アプリといえば何万ダウンロード、などダウンロード数の多さを広告に打ち出すものも多いのに、あえてそんな面倒くさい手順にしているなんて。
(でも、その方が却って特別感は増すのかな……?)
「私もマイ民繋がりで教えてもらったんだよね。えっと、ちょっと待ってね……」
スマートフォンを操作した彼女から、アプリのダウンロードページのURLが送られてくる。
けれど間もなく授業が始まってしまい、話はそこで中断となった。
その日の夜。
バイトも終えて帰宅した自室でくつろいでいると、彼女から「アプリ、ダウンロードできた?」とメッセージが入っていた。
(そうだった……)
昼に中断してそれきりになってしまっていた画面を開いて、ダウンロードを進める。
その傍ら、彼女に「これから色々聴いてみるところ」と返事をすると、「気にいった曲があったら教えてね!」と文字ですらも弾むようなメッセージが返ってきた。
楽しそうな彼女の笑顔を思い出して、少しは期待に応えたい、という気持ちがわいてくる。
早速ダウンロードされたアプリを開いて、私はまず彼女の話していたダパレさんのページを開いた。
「あ、これかな。本名が入ってるかもって言われてたやつ……」
トップに出てきた『その魔王殿は危なげな程に刹那的―。』というタイトルをタップすると、ダークファンタジーのような、どこか妖し気なイントロが流れてくる。
(……って、考えてみたら私、マイミーの声わかんないや)
彼女の話していたことは気になったけれど、配信をほとんど見ていない私では判断のしようもない。ただ、どこか胸をざわつかせる曲だな、とは感じた。
(デュエットとかもあるんだ。この曲は結構好きかも……)
いっくんという別の歌い手の人とデュエットで歌われている『2H2O』という曲は、テンポこそ速いけれど澄んだ雰囲気で聴き心地がいい。
そのまま気になっていっくんの『フィルム越しのモノクローム』という曲も聴いてみると、こちらはダパレのものとは打って変わって静かな曲調のものだった。
(この時間に聴くにはちょうどいいな……)
波打つような声色も心を落ち着けてくれるようで、もう一つアップされている『翡翠色のロゼアモール』という曲にも飛んでみる。
どうやら『Special』とアイコンがついている曲はその歌い手の人のオリジナルのものらしく、試しにいつも使っている音楽配信アプリで検索してみても同じ曲は出てこなかった。
気になって、更にSpecialを探していくと——。
「……あ」
Aメロを聴いた瞬間、どうしてだろう、見つけてしまった、と思った。
(これだ。私の、聴きたかった曲……)
感じたことのない確信に、鼓動が少しだけ早くなる。
RiZさんの、『My Role』。
表示されていない歌詞を必死にたどるように、全てのフレーズに耳を澄ませた。
全部が自分のことを言われているようで、大きく感情が揺さぶられる。
音楽を聴いてこんなふうになるのは初めてで、自分でも戸惑いながら気づけば視界がぼやけていた。
夢中になって、そのままRiZさんの曲を何度も何度も繰り返して聴いてみる。
『My Song』も、『逆転スピナー』も。
そのどれもが痛いくらいに刺さって、その感覚すらも新鮮で心地よくて、いつの間にか夜明けに近い時間になっていた。
「やばい、そろそろ寝なきゃ……」
歌い手をお気に入り登録できる機能を使って、RiZさんの更新がいち早くわかるようにしてから布団に入る。
(もしかして……これが、推すってことなのかな)
明日学校に行ったら、早速彼女に伝えよう。
『アルカナムジカ』で私が初めて出会った、推しの話を——。