映画感想文(1)「グランドホテル」

はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

今回は3つの映画の感想を書きます(そのつもりでした🥺)。
作品名は次の3つです。

○グランド・ホテル
○マスカレード・ホテル
○マスカレード・ナイト

これらを観たきっかけは、東野圭吾「マスカレード」シリーズですが、それらを読んだきっかけは『マスカレード・ナイト』の映画化です。
映画化をきっかけに本を買い、映画も観るという、マーケティングに上手く引っかかりました笑。
でも楽しかったので満足しています。

ちなみに私が享受した順番は、
小説『マスカレード・ホテル』→小説『マスカレード・イブ』→小説『マスカレード・ナイト』→映画『グランド・ホテル』→映画『マスカレード・ホテル』→映画『マスカレード・ナイト』
という順番です。
「マスカレード」シリーズについては、小説映画含む発表順です。『グランド・ホテル』はこれらの作品に影響を与えていることが『イブ』でわかったので、映画の前に観ました。
作品享受にはそれまでの経験が必ず関わるので、そんな些細なことも気にしてしまう方です。映像化については以前「読書メモ(18)映像化について」で書きました。

グランド・ホテル

この映画だけは東野圭吾原作ではありません。しかし読んだきっかけは東野圭吾『マスカレード・イブ』です。
主人公の山岸さんが大学生時代に映画サークルに所属し、好きな映画として挙げていました。
どの登場人物が好きというより、色んな人がやってくるホテルという場が好きだと言っていたと思います。

この映画は第5回アカデミー賞を受賞しています。1933年の作品で、約90年前に作られたので白黒です。
正直に言うと観る前はあまり期待しておらず、「マスカレード」シリーズをより理解するために観るつもりでした。
しかし観てみるとものすごく面白く、撮影技術だけが映画の良さでは無いのだなということがよくわかりました。
あとで知ったことですが、この頃は映画全盛期で、競争が激しい中でアカデミー賞を受賞しているわけですから面白くて当然だったようです。

この映画は様々な登場人物にスポットライトが当たる群像劇の形を取っていますが、これを「グランド・ホテル形式」と呼ぶようになったほど有名な作品のようです。

私がこの映画を観たのは「マスカレード」シリーズを読み終えた後だったのですが、お客様達が仮面を被っているのはこの映画からもよくわかりました。
特にわかりやすかったのは、踊り子(?)が何も知らずにホテルを去っていく場面です。そして、その場面も含めた後半はお客様が慌ただしくホテルを去っていく反面、何も知らないお客様がまたやってきます。ホテルは何事もなかったかのようにそれを受け入れます。まさに「マスカレード」シリーズに通ずるところだと思いました。

この作品で最も印象的だったのは、最後のセリフです。

グランド・ホテル、人々が来ては、去ってゆくまるで川の流れのように絶えることはない、これまでもそしてこれからも

気づく人は気づくと思うのですが、これは鴨長明『方丈記』の冒頭の一節を踏まえています。

行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。

なるほど、確かにホテルという場所は常に人が来ては去ってゆく無常な空間と言えます。
ここでふと気になったのが、海外でも川の流れが無常を表すというのは当たり前なのだろうか、ということでした。
そして、吹替版ではない英語のセリフはどうなっているのか気になりました。

確認してみたところ、なんと「川の流れ」に関する部分はありませんでした。
「人々が来ては去ってゆく」で終わっていました。
つまり、この川の流れの例えは日本語吹き替えにあたって(恐らく)日本人が加えた表現ということでしょう。
古典が現代に生きていることを感じられて、なんだか嬉しくなりました。

おわりに

今回、元々は三つの映画について感想を書くつもりでしたが、思っていたより長くなったので一旦この辺りで終わっておきます。
残りの二つは気が向いたら書くかもしれないし、書かないかもしれません。

あ、ちなみに「グランド・ホテル」はAmazon Primeで観ることができるので、興味がある方は是非ご覧下さい。

ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。

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