釈迦タモリ「この世界は気のせいでできてるけど、愛の姿をしている」
人はどこか軽薄で、粗悪に思えるものだと分かっていても、ついつい惹かれてしまう事がある。
一昔前ならケータイ小説。
ずっと変わらないものなら、恋愛ドラマ。
別に何があった訳じゃないけど、おセンチになったからこんなタイトルにしてみた。
いや、嘘です。思いっきり心がザワついた話を聞いたから、思いつくままに書き殴りたいと思う。
ちなみにタイトルは完全に適当だから、なんだこいつ…と思われても仕方ないと思ってる。
感情は、ある意味で業を背負うのと似ている
もう、今まで数えきれないくらいの人類から多分さんざ言われているし、聞くのもウンザリするほどの言葉だけど、やっぱり「感情って業の一種」なんだと思う。
っていうのも、やっぱ日常のすべての動機は、感情がトリガーになっているしね。
いい生活をしたいのも、近くのコンビニで働くかわいいあの子とオチカヅキになって、あまつさえキャッキャウフフしたいのも。
なんだかんだ、人の本体って肉体じゃなくて心とか精神みたいな曖昧で不確定な概念みたいなのじゃないんかな、って。
もうアレだよね、マジンガーZみたいに、マジンガー(肉体)に操るヤツ(精神)が乗り込んでるのに近いよ。
全人類、総マジンガーZ。
可愛いあの子も、隣で飯食ってるオッサン上司も、イケメンで色気のある芸能人も、謎の富裕層感&うさん臭さを出してくるツイッター界隈のインフルエンサーも。
全員マジンガー。
生きることは業を背負って、その業と向き合い、折り合いをつける事なのかもしれない。
じゃあ、愛って全部じゃん。
んでもって、業の源になる感情。
これの根っこって何だろう…って考えた時、突き詰めていったら、どうやらその根っこは愛っぽかった。
沢山考えてみたけど、結局私の中では、どうやったってこの事実は揺らがない。
もちろん、愛って言っても、外(他人)へ向けてじゃなくて、中(自分)への愛もあるから、きっと人って本質的に愛を持ってるんだね。知らんけど。
そろそろ、ウザくなってきた人。
正解です。
さいごに
長々書いてきたけど、冒頭で心がザワつくきっかけになった話は、私が愛してやまないおもしろオジサン「タモリ」氏が西野亮廣氏の絵本の原案を提供した…という話をたまたま見かけたから。
「なぜ戦争がなくならないか」の問いに「愛があるから」と答えたタモリ氏。いちいち痺れるオジサンだ。
タモリが好きとか言ってると「ヴィレッジバンガード入りびたりマン」とか「サブカル糞野郎」みたいな目で見られがちだけど、好きなもんは好きだし、実際サブカル糞野郎だから仕方ないよね。
そんな風にディスられようが、私の陰キャ体質は変わらないし、哲学とか思考実験、人の精神なんかへの興味は変わらない。
だって真のエンタメは、人間の中にあるんだから。
おわり
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