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英検二級に合格してもなんだか手応えがない理由

こんにちは。札幌で英語講師をしているアラといいます。

さて、以前も書きましたが、現在の大学受験では推薦で進学する人が約半数を占めています。推薦で進学すると大学の授業についていけないんじゃないか、などいろいろ批判というか不安の声もあるわけですが、ともかく半分くらいの人は推薦で大学に進んでいるのが現状です。

といって、日本みたいな社会、つまり他人のことをそこそこ気にする社会では、言うほど若者を放ってはおきませんから、推薦を得るための基準もテキトーな属人的なものではなくて、それなりに客観性を担保しようと工夫されているように思います。

たとえば、医学部だとか偏差値の高い大学の推薦をもらうには共通テストの点が必要だったりしますし、推薦が取れるかどうかの判定をなるべく遅くして勉強のモチベーションを維持しようとさせている学校もあるようです。反面、あまりに簡単に取れてしまう推薦もあるようで、推薦での進学にもいろいろあるということなんでしょうね。

英検二級は基準としてよく使われる

そして英語に関しては、外部試験で一定の得点や級を獲得することを条件にしている学校も多くあります。その際に好まれる外部試験は、やっぱり英検ですね。回数が多く、受けやすい。参考書も多く出版されていて勉強しやすいですし、テストの形式も大学入試の英語と似ているので推薦が取れなくても無駄になりません。多くの場合、英検二級を取ると推薦の資格が得られるようです。

二級はとったものの……

僕が担当してきた生徒さんにも二級を持っている人はたくさんいました。中学二年生でとっちゃった人、何回もチャレンジして高校三年生になってからとった人、そして、英検二級はもっているんだけれども、単語も忘れちゃったし、文法はまったく知らないし、長文もさっぱり意味がわからないのでとにかく基礎からやり直したいです、という人たち。この、二級はあるけど英語は全然わからない、という人がすごく多い、と感じています。

僕自身の経験でもそのように感じたことがありました。大学を出る頃に受けたTOEICが750点くらいだったのですが、当時読みたかった英語の本がまったく読めなくてがっかりした記憶があります。

この状態の人たちは、文章の意味はわからないけれど正解の選択肢は選べた、ということです。英検一級なら、そしておそらく準一級でも、こういうことは起きにくいと思います。僕が昨年英検一級を受験した時、意味がわからない箇所というのは、激ムズ単語クイズゾーンの選択肢の単語だけで、その他は設問文も合わせて全部意味はわかるのです。その上で80%正解できました。一級と準一級は70%以上正解しないといけないといわれているので、意味がわからないのでは合格はまず無理でしょう。

翻って、二級は60%以上正解すれば合格の可能性があると言われています。リーディングの問題数は38問、全て4択です。受験者だって対策はしますから、四つある選択肢を三つ、または二つまで絞り込めるくらいの知識は持っています。そうなると、意味はわからないけれども、なんとなく正解が60%を超える人もそこそこの数でてくるわけです。そうして合格したものの手応えがない、という人が生まれるのだと思います。

中級レベルという幻想

これは英検二級に価値がないということではありません。中級レベルの語学力を計測するのが異常に難しい、ということが一因でしょう。上級レベルであれば、難しい言葉づかいで難しいことを読ませたり聞かせたり書かせたりすれば測れるのですが、中級レベルというのは、ネイティブスピーカーの世界には存在しない架空の言語みたいなものなので、適切な問題が作りづらいのだろうと思います。

突然! おすすめYouTubeチャンネル!

唐突ですが、最近、Merphy Napirさんという人のYouTubeチャンネルをよくみています。

主にヤングアダルト向けの本のレビューをしているチャンネルなのですが、ここ半年くらい、漫画『ワンピース』のレビューもされていて、毎週金曜日はOne Piece Fridayとして動画を上げてくれています。彼女のレビューが実にエモーショナルで、僕も初めて『ワンピース』を読んだ時のことを思い出してとても楽しく見ています。特に、序盤では「激烈な戦いなのに誰も死なないのはおかしい。」みたいなことを言っていたMerphyさんが、エニエスロビー編に到達したころには「誰も死んでほしくない。一生麦わらの一味の話を読んでいたい。」と言い出したりして、全く同じ気持ちになったことを懐かしく思い出しました。しかも動画一本が長いんです。これが良い。友達とファミレスで漫画の話をしてるみたい。現在最新のマリンフォード編のレビューはついに動画時間が一時間半に達しています。

で、なんでこんな話を始めたのかというと、彼女が話す英語はとても平易なものだし、作品のレビューといっても衒学的な分析をするようなものではなく、丁寧に読んで感じたことを話しているだけです。それでも、例えばinstigate(引き起こす、駆り立てる、煽る)のような単語が当たり前のように出てきてしまいます。おそらく標準的な大学受験用の単語帳はinstigateを載せていないでしょうし(手元の『ターゲット1900』にはありませんでした。)、実際の入試の過去問にもまず出てこないレベルの単語です。また、英語好きが愛してやまない英辞郎という辞書がありますが、この辞書は単語を、日本人学習者にとっての有用度で12のレベルに分けています。1が一番基礎的で有用なもの、12が一番出くわす頻度が低く急いで覚える必要性の低いものです。そしてinstigateのレベルは、12です。

そんな単語が、みんな大好きワンピースの感想を言う中で当然のようにでてくるわけです。これが言語の実態です。中級レベルというものが存在しないのです。

人間の言語は突然変異

どの本で読んだのか忘れてしまったのですが、人間の言語の起源について「双子仮説」というものがあるそうです。ある日ある時、突然変異で文法を操る能力を持って生まれた双子がいて、その双子が会話することで他の人間よりも圧倒的に有利に振る舞えたから、その双子の一族が生き残ることができた、というものです。つまり、人間の言語は徐々に進化してきたものではなく、突然変異によって生まれたものである、と考えられているんだそうです。たしかその同じ本に載っていた例だったと思いますが、数を千まで数えられるけれど、万は数えられない言語が存在しないことがその傍証だといいます。もし言語が徐々に進化したものであれば「途中の段階」があるはずだが、実際には存在しない、というわけです。

(追記 8月12日)

思い出しました! 酒井邦嘉『チョムスキーと言語脳科学』に書いてありました。

(追記終わり)

この、「途中の段階」がないことが、外国語学習を極端に難しくしているのでしょう。英辞郎の分類でレベル12の単語が、日常的な表現のなかで出てきてしまう。だからいわゆる「中級レベル」の教材で勉強しても「わかった」という感覚が得られない。

といって、何か解決策があるわけでもないのです。世の英語話者に難しい単語を使わないでおくれ、とお願いするわけにもいきません。学習者は最初から「上級レベル」の言葉と格闘するしかないのです。

本当に「なんとなくわかればいい」のか

英語教育の現場では、文を読んだり聞いたりすることについては「なんとなくわかればよい。」と長らく言われてきました。実際には、そう言わざるを得なかったのかもしれません。「上級レベル」の言葉を理解するには時間も手間もかかるのに、会話が出来なきゃ意味がないとか、音声を通して学習しなければだめだとか、新しい課題がどんどん足されてきましたから。そうして「文の構造を分析する」とか「日本語に置き換えて意味を把握する」といったことに割く時間が不足していったのです。ここ数十年、日本で「上級レベル」の英語(つまり普通の英語の文)に取り組むことを組織的に実施していたのは、本当の意味での進学校だけだったんじゃないかと思います。そういう学校は生徒に、十年一日のごとく単語帳で単語の日本語訳を覚えさせ、文法問題や構文の問題を大量に解かせ、範囲を指定しない実力テストを実施し、結果を数値として示して生徒たちに分析させます。そして執拗に勉強時間を増やすよう要求します。

結局、外国語を学ぶことは大変で、時間がかかることなのです。最近は4技能、つまり「読む、書く、聞く、話す」の四つが大事、とよく言われますが、どれひとつとっても膨大な時間が必要です。そして以前にも書きましたが、「書く」と「話す」は一人で黙々とできる作業ではないので、とても効率が悪いです。さらに「話す」に至ってはそもそも採点が可能な技能なのか怪しいですよね。緊張で話せない人を減点しても本当にいいんでしょうか?

変化が始まっている

と、問題点ばかり上げても仕方ない。実はもう変化が始まっています。今年度から中学生の教科書が新しくなっていますが、英語はかなり難易度と量が上がっています。学習する文法事項も増えました。それでいて、これまで増すばかりだった会話重視の姿勢が和らぎ、文章の量が増えました。当面は移行期間なので高校入試のレベルがいきなり上がるわけではないですが、文科省の方針としては、数十年ぶりに「ちゃんと文法をやるし、たくさん読む」ことになったようです。

個人的な印象でも、ここ5年くらいで明確に英単語帳を重視する学校が増えています。それ以前は単語帳を生徒に配るものの、授業ではたいしてチェックなどせず、生徒の自主性に任せている学校が多かったように思います。ただこれは高校の話。公立の中学校はまだまだ「なんとなく」な授業が多いように感じます。文科省の方針通りに変わっていくかどうかはこれからの話ですね。

まとめ

言語に「中級レベル」がないことが、英検二級の手応えを薄くしてしまっているけれど、それは仕方がないことです。たしかに英検二級は、「生活の用を足す」ための英語でもないし、「人間の文化的な活動」で使う英語でもないですが、そこに繋がる長い道のりの途中にあるもの、と考えて良いと思います。なんとなく60%正解しちゃうことはあっても、全くの努力なしでそうなることはまずないでしょう。英作文もリスニングも面接もありますから。なので「わからない」と感じるのは当然としても、合格はちゃんと頑張ってきた証です。また前向きに勉強していきましょう。

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