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“分かってくれるのが愛”は大喜利
分かってくれない母親と、分かってくれたネットでコメントくれた通りすがりの人。
どちらがあなたを愛していますか?
分かってくれない旦那と、分かってくれたママ友。
どちらがあなたを愛していますか?
“分かってくれること”と“愛していること”は
全然イコールじゃないんだよって話。
以下抜粋
はい、次のお題はこちら!
「愛しているなら◯◯」
はい!好楽さん!
好楽「愛しているならお金ちょうだい」
ちょーっと露骨だけど、
ありそう!
はい、円楽さん!
円楽「愛しているならおごってよ」
良いですねー!あるある!
それ採用!座布団1枚!
はい、小遊三さん!
小遊三「愛しているなら怒ってよ」
あぁー、ハイハイ!
叱られることが愛だと思うパターンね?
気を引きたくて悪いことばっかりしちゃう子供みたいにね?
おごってよ、からの、おこってよ、
韻を踏んでなかなか粋ですな!
座布団1枚!
はい、木久扇さん!
木久扇「愛しているならほっといてよ」
なるほどなるほど!
逆のパターンね?
そっと見守っていて欲しいっていうやつね?
何も言わないでいてくれるのが愛ってことね?
こんな感じで、愛と何をくっ付けるかは、
その人次第なんです。
なのに、本人はそのルールは自分だけのものだと気付かない。
そこにすれ違いが生じる。
そうか、自分は愛=◯◯と信じていたんだな。
そこに気付けば、その定義を変えることもできる。