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ワイの深淵を覗き込むとき深淵もまたロードで走り続けている


#創作大賞2024

 趣味はサイクリングですと言うと何だか微妙な顔をされたりされなかったりする。
 趣味はサイクリングだすと言うともっと困った顔をされる。仲良しなら笑ってくれるときもある。失笑なのかな。

 私の周りにロードバイク乗りは一人もいなくて、少々変わり者扱いすらされている。
 でもそんなことはどうでもいいくらいロードバイクが好きなのだ。
 仕事中も、あ予備チューブ買うの忘れてた、とか、そうだ今度の休み風が強いみたいだから輪行で山の方へ行けば風は弱いかも、とか考えてたりする。
 通勤路にあるマンションの駐輪場にあるロードバイクは全て記憶していて、お、青GIANT出かけてる、とか、あれ?黒フェザー最近見ないな、などのチェックは欠かせない。なんでか知んないけど。
 寝ても覚めても、ってやつに近いかもしれない。
 
 ワイの愛車はキャニオンというドイツのメーカーのロードバイク。
 個人輸入で購入したお気に入りだ。
 見た目は地味で、少し物足りなさも感じるけど、2年半経っても飽きが来ていないからこれで良かったのだろう。
 
 走りに行くのはいつも独り。
 特に淋しいとも感じないし、元々団体行動は好きではないので、サイクリングという趣味はワイにピッタリなようだ。
 ロードバイクを通じて友だちが欲しいとは全く思っていない。もちろん友達などいらないとも思っていないが、積極的にイベントやレースに参加する気も全く無い。

 そんなワイだが、SNSでロードバイクのブログなども読む。
 ある日のサイクリングの備忘録のような記事、仲間との熱いバトルありの記事、レースに参戦した記事、レースへ向けた読んでいるだけで苦しくなってしまいそうなハードな訓練の記事、など実に多くのサイクリストが日々ペダルを漕いでいるのだなあと感心する。
 もちろん私と同じくぼっちライド記事も多くあって、そういうのを目にすると、あぁワイもそれほど変わり者じゃないんだ、と少し安心したりする。
 逆にその人が唐突に「今日はグループライドに参加した」とか書かれると少々寂しくなったりもする。あまりヤキモチとかしない質だと思っていたのですがね。
 ワイだって人嫌いとか、意固地になってぼっちライドにこだわっているわけではなく、どこかの道の駅とかで出会ったサイクリストと談笑することもあるし、キツめのヒルクライム中に「ファイトー!」とか声をかけたりもするし、自撮りをしている女子ライダーの写メを撮ってあげたりだって抵抗なく出来るのですよ。
 むしろロードバイクに乗っているときのほうが社交的なのだ。

 
 そんなワイの何でも無い何もなかった日のサイクリングのことを徒然なるままに書いたら、どこかに確実にいるボッチライダーの心の支えに少しはなれるんじゃないかと思って書き始めたこのブログ。
 誰かがどこかでほんの少しだけ何かを思ってくれたら、ワイが読んで共感したいつかのSNSの誰かに恩返しができたことになるかもしれないから…。

 その日は曇り。
 気温は暑くなるらしいけど、5時過ぎはまだ肌寒い。
 でも体が温まればこれくらいの肌寒さはどうということはないということは経験上わかっているから半袖のサイクルジャージで出発する。
 いつもの踏切を横切るときにまっすぐ見通せる一直線の線路の上に朝日はすでにいる。
 
 国道に出ると大型トラックが何台も走っている。道が空いていれば車道を走りたいのだが、平日はサイクリングロードが無難だ。
 近所のそのサイクリングロードも悪くはないのだが、少々狭く、犬の散歩人やジョガーも結構いるから、すいている車道ほどはスピードは出せない。
 それはそれで楽しい。
 かなりの贅肉を纏い揺らしドタドタとジョギングする中年男性とすれ違うときは「地道にがんばれー」と心の中で声援を送るし、
 素晴らしい速さでランニングするどこかの大学のチームを追い越すときは、「ファイト!」と声をかけようかと思うし(結局かけない)、
 若い女性が走る後ろ姿のおしりはつい見てしまうし、
 年配の先輩方が集ってラジオ体操をやっている脇を通るときは、今どの体操だ?第2か?第2か?とか思うし、
 フラフラと進む老人の自転車を追い抜くときは細心の注意を払って、何だったらサイクリングロードからはみ出しオフロードを走ったりもするし、ロードバイクとすれ違うときは軽く会釈し、道を譲ってくれたときは片手で手慣れた(つもりの)挨拶を自然にしたりもする。

 それら一つ一つは今まで積み重ねた経験のもと進化してきた思考であり行動であるのだと思う。
 初めてロードバイクに乗るのだったらこんなことは思ったり意識することなく出来ないだろうし、同時に危なげなくスイスイと走ることも出来ないだろう。
 
 とはいえこのサイクリングロードも何十回とかそれ以上走っているので、新鮮な喜びというのは少なくなってはいる。
 そうなると体はペダルを漕ぐ動作を出来る限り無駄なく行ってはいるけど、頭の中では、日頃の愚痴をこぼしていたり、昨日の仕事上の失敗を悔やんでいたり、家族を置いて独り遠出していることを詫びていたり、今もし旧友にばったり出会ったらなんて言おうか練習していたりしている。

 中でも最も多く脳内でめくりめくのが音楽を頭の中で再生することだ。
 それは誰でもあることだろうし、実際歌いながら走ることだってある。でもワイの声が届いてしまう範疇に他人が入るとミュートしてしまう。
 おそらくほとんどの人はそうだろう。
 中には堂々と「もぉしオレがヒィロォだったらぁ〜」と歌い上げるツワモノもいますが…。ちょっと憧れる。
 
 もちろん自分の知っている曲しか思い浮かばないし、大体は直前に聴いた曲や会話に出てきた曲などが多いのだけど、中には何十年も聴いてないし思い出したことなどない曲が何の前触れもなく我が前頭葉から海馬にかけて走り抜けていったりするのだ。
 その選曲の基準、センスに我ながら驚かされることがある。

 先日のこと、私が愛車キャニオンにて小津坂峠を登っているときのこと。
 個人的に好きなこの峠はとても短い割には色々な顔を見せてくれるので近くを通った際体力に余力があれば登ることが多い。
 この日も心地よく登っていると、何の前触れもなく「♪シッダン・シッダン・ハニィエービバディなんちゃらかんちゃらぁ」と洋楽が再生された。
 なんだっけこの曲?と自分でもすぐには思い出せない。 
 しばらくこのフレーズをループし歌っていてやっと、ビバリーヒルズ・コップ2の主題歌だ!と正解に辿り着いた。
 でもなんでだ…。
 確かワイが中学生くらいの頃の映画だったし、何十年も見てないし、特に嫌いな映画ではないけど心のベスト100にもランクインはしない映画だし、小津坂峠には全く合わない曲だし、割とのんびりヒルクライム中だし…とか思いながらも、周りには人っ子一人いないので「ゲッダン!ゲッダン!ヨバスタァァー」とかなり大きめに歌いながらペースアップしたりして小津坂峠を登りきった。
 一息つきながら気持ちよくダウンヒルをしていると、中学生の頃友達と自転車に乗っている記憶が蘇ってきた。
 その友達のママチャリのカゴにはラジカセがあって大音量でそのビバリーヒルズ・コップ2の曲をかけていた。当時流行っていたのだろう。ママチャリでラジカセで洋楽をガンガンに流すのがかっこいいと思っていたのだろう。
 彼とは中2のとき同じクラスだったな、ということはビバリーヒルズ・コップ2はワイが中2のときの映画か。
 と森の中を走り抜けながらノスタルジックな気分になった。

 その他にも「ダンシング・オールナイト」や「だよね」とか「明治十勝スライスチーズのCMソング」やら通っていた幼稚園の校歌が出てきたりした。
 長過ぎる柳沢峠を登っているときに郷ヒロミの「♪もーおーやーだよー」が出てきたときは納得がいったが、それ以外はどうにも解せない。
 ワイの中のDJワイがどういうつもりでそれらの選曲をしたのだろうかと考えながらペダルを回すのだが、応えにたどり着くことは滅多になく、じゃあ次はどんな曲で来るんだい?と期待しながら待ち構えているとDJワイはどこかへ消えてしまうのだった。

 はたしてワイの頭の中には何百曲記憶されているのだろうか?自分の中へと探求を深めながらも走ることに集中している時間はワイにとって至福の時間なのだと思う。
 その探求に埋没していくと日頃の有象無象森羅万象烏合の衆などが思い浮かぶことはなくて、森の中の道を緩やかに登りながら、ひたすらに自分の中の記憶の森を探求し、ただひたむきにペダリングの効率を追求しているのだった。

 ロードバイクに出会ってなかったら、こんな「動的瞑想」をすることはなかっただろうし、ワイはもっと悲観的な人間だっただろうな、と思う。
 これから先、ロードバイクに乗り続けたとしてもどこにも辿り着けないだろう。
 でもしばらくは飽きることなく走り続けるだろうし、可能な限り走り続けたいと思っている。
 どこかにある目的地を探しているのではなく、いつか拓ける境地を目指しているわけでもなく、ただロードバイクに乗るのが好きだから走り続けるのだしょうな、ワイは。

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