真にエンターテイナーになった、これからの長利和季の話をしよう〜表現者たちの伏線Vol.3長利和季さん編④〜
様々な発信活動をする方々に、その活動を続けるに至った「過去の伏線」と、今現在の活動から導かれる「未来の伏線」、2つの視点から迫るインタビュー「表現者たちの伏線」。第3弾となる今回は、シンガーソングライターを経て、現在Calm Room代表を務め心理士、音楽家、ラジオパーソナリティなど様々な顔を持つ長利和季さん。最終回となる今回は、ジストニア発覚後自分自身に課した「3つの誓約」と、アーティストとしての長利和季の顛末から、エンターテイナーとしての長利和季の生きる理由とこれからを探っていく。
ーでもそんな中、音楽だけはやめないできたのに、声も出なくなるのかって。
(病気が分かったのは)このタイミングだったんですね...
まだこの時は「ジストニア」って病気自体が広く認知されてなかったからね。はじめは喉が思うように使えなくなってきて、あとからピアノを弾く時に、右手にも同じ症状が出てるのがわかった。正直本当に沈み切ってしまって。それはもう、人格が変わってしまうんじゃないかってぐらいに。
症状の出ている場所が、長利さんの音楽活動に欠かせない部分ですもんね。
そう。初めて「自分の身ひとつでやりたいことを好きなだけやっていこう、これからだ!」と思っていた時期だったから、余計に落ち込んだ。「なんでよりによって自分なんだろう」って思うこともあった。ここでは高校のときのように、明るく“喜劇的に”振る舞う余裕はなかった。生まれつき目も悪かったし、体調も悪かった。でもそんな中、音楽だけはやめないできたのに、声も出なくなるのかって。
ある種ずっと自己肯定感のよりどころに、音楽をしてきたところありますもんね。
まさにそうだね。でも、あることがきっかけで、このままじゃダメだと思って。自分の中に今後の活動をする上で3つの制約を課すことにした。一つは、病気のことやそれに付随することを誰にも言わないこと。
それって誰にも言ってなかったんですね。
家族にも言ってなかったね。2つ目は、大学を卒業する3月(2年後)に設定した活動休止までやりたいことをすべてやり通すこと。やりきるっていうのは、「ワンマン、CD発売、ツアーetc...」その辺りの思いつくこと全部。
3つ目は...?
2年後の9月7日(病気のわかった日)に死ぬこと。
ー自分にとって音楽は「光」だなと思ったの。
最後がなかなか衝撃的すぎてなんと言ったらいいか...。でも、それぐらい残りの時間でやり切ってやる、という強い決心だったってことですよね。じゃあ、そのきっかけになった「あること」っていうのは...?
「night blue」って曲に、この当時の気持ちを初めてノンフィクションで、書けたことかな。
なるほど。そうして見ると、「決定的で運命的な出会い」みたいなものでここまで動かされてきたからこそ、「おいおいこれはさすがになしだろう」という絶望感を「night blue」の歌詞から感じますね。こうしてみると。あと第三者目線の歌詞なのも珍しいですよね。
そうだね。これまでの自分を描きつつ、最後神様に縋るのをやめて、やりたいことをやり通すっていう決意表明をするというか「night blue」ができたのは本当に決定的な出来事だった。この曲は、病気が分かった日の夜に一気に書き上げた。確かに病気が分かって絶望的な気持ちだった。でも、そんな時にも真先に浮かんだのは「歌うこと」「曲を書くこと」だったのもまた事実で。これは話をするよりこの曲を聴いてもらうのが早いかな。
だからもうここからは、決定的な曲ができて、そこでの心境変化があって、やりたいことをやり切るためにとにかく歩みを止めなかった、っていう感じなんですかね。
そうだね。間のエピソードはあるにしろ、やりたいことを全部やったっていうのが本当に全て。ツアーをやり切って、2018年3月9日のワンマンライブ「いつか光を失くしても」につながってく。
「いつか光を失くしても」には、どういう意味が込められてるんですか?
同名の曲にもなったこのタイトルには、自分の「何気ない日常の大切さ」っていうテーマへのスタンスの変化が反映されてて。というのも、この先歌えなくなることがわかった時に、自分にとって音楽は「光」だなと思ったの。そこで、漠然と自分のしてきたことが腑に落ちて。今まで自分にとっての支えになっていたものは光だし、それって音楽だなと。そして、がむしゃらにライブをして、たくさんの人に出会ったことで、自分だけじゃなくて誰かにとっての支えになれたらとも思えて。
「night blue」制作時からの心境変化を感じますね。
そうだね。「night blue」では神様を、運命を呪う気持ちがあったけど、そういった刺々しい思いより、出会いへの感謝の方が大きくて。僕にはその光がなくなることが分かったけど、今度は自分じゃない誰かの光になればいいなって思いを込めたタイトルにした。支えって日常にこそ必要なものだし。
ー病気になっていなかったらたくさんの出会いも、ツアーとワンマンライブをやり切るアーティストとしての実力も、なかったと思う。
日常のかけがえなさの価値を違う形で実感できたってことですかね。
そう思う。まさにその思いを形にできたのがこの「いつか光を失くしても」だった。初のワンマンライブ、長尺ということもあってなんとかもっていた喉と右手が、その終盤で、初めて演奏の支障が出るレベルで症状が出てしまって。しかもまさに「night blue」の演奏中に。そうなってしまった時に「これは神様が言えっていってるんだな」って思って。そこで初めて、自分の病気について、「night blue」という曲の出自について話した。
ドラマチックですね。
自分の今の状況を正直に話せたことで、無意識に気を張っていた自分に気付いて、肩の荷が降りた。そのあとはしっかりアンコールまでやり切って、そこで「いつか光を失くしても」を本当の意味で表現できたんじゃないかなと思う。
最終的にそうやって、音楽活動を断念する原因になった病気さえ、自己肯定感の源である音楽で肯定できたんですね。
そうだね。病気になっていなかったらたくさんの出会いも、ツアーとワンマンライブをやり切るアーティストとしての実力も、なかったと思う。時間をかけて病気ってものと折り合いをつけられたのももちろんあるけど、音楽の存在は本当に大きい。「night blue」と「いつか光を失くしても」って曲を作れたのは、すごく大きいことだった。
そして2018年4月を迎えて、シンガーソングライターとしての音楽活動は、一旦幕を閉じたということなんでしょうか。
そうだね。不思議なもので、活動休止後は、緊張の糸が切れたように、演奏できなくなった。けれど後悔はなくて、名実ともにやりきったなって思いの方が強かった。
そうだったんですね。となるとどうしても気になってしまうのが、先ほどお話しされていた3つ目の誓約、「2018年9月7日に自死する」なんですが...
そうだよね。正直たくさんの人と音楽との出会いで価値観の変化があって、本当に死にたくなかった。でも「あの日の3つの誓約がなかったら貴重な体験や出会いはなかった」っていうのも同時に思っていて。だからこそ、そこに嘘をつくのは、その誓約を破るのはどうしても許せなかった。だから実は、本当に自死を試みたんだよね。
そうだったんですね...
既に就職していたから、9月になる前に退職願を出して。自室の家財道具も、徐々に処分していって、身の回りを本当に最低減のものにした。そうして準備が終わった、2018年の9月7日、橋の上から川に飛び込んだ。この日はすごい雨だった。
ーそこで、「死ねなかったけど、『死のうとした自分』は死んだな」って思った。
聞いていいのか分からないんですが、「入水」を選んだのには何か理由はあるんですか?
こういう形で「伏線」を出すのもいかがなものかと思うけど、最初に言った通り、「水が苦手」っていうのが、場所を選んだ理由だったりする。今でもだけど、金槌なんだよね笑。
いや、笑えませんって!
ごめんごめん笑。でも、こうしてちゃんと話せているように、死ねなかったんだよね。気づくと下流に流れ着いていた。
打ち上げられたってことですか?
多分ね。それで、意識を取り戻して「生きてる」ってわかった時に、涙が溢れてきて。「やっぱり死にたくなかったんだな」って自覚できた。そこで、「死ねなかったけど、『死のうとした自分』は死んだな」って思った。そして、びしょびしょのまま家に帰った。家族にはずぶ濡れなのも「雨だったから」って伝えた。
うわ〜〜〜〜〜(目頭が熱くなってしまう)。
でもそれだけ、自分に嘘つきたくなかったってことなんでしょうね。何よりも。家財道具も整理して川にって...映画版聲の形じゃないんだから...笑。今だから笑えますけどね!!
確かに笑。そうだね、今こうやって話せてよかった。そうして数日経って、まっさらの状態で「何しようか」って考えることになった。事実、家財道具も処分して、仕事もやめたしね。
ーあと、「僕は基本的に人のこと好きだな」って。
そこからどうやって立ち直っていくんですか?
そこからまず、やりたいこととして浮かんだのが個人事業主だった。そこから「シンガーソングカウンセラー」としての長利和季が始まった。
そういう中でどうやって今の活動に繋がっていくんですか?
まず前提として、自分で動かないと仕事がない状況だったから、活動の地盤を固めることを第一目標にしつつ、「音楽以外の“やりたいこと”を見つけよう」って気持ちも芽生え始めて。そこで思ったのが「僕は特筆すべき趣味はないけど、話すのはとても好きだな」ってこと。あと、「僕は基本的に人のこと好きだな」って。
「フラットに見てる」っておっしゃってますもんね。
そう。そこで自分の見方がまた変わった。人好きでおしゃべり好きな自分に気づいて、それを生かす場を作ろうと思って。そこで今Youtubeでやっている「今夜お話致しませんか。」(通称:ヨバナシ)の元になった、ツイキャスでの雑談配信を始める。それをしばらく続けていたら、FM局から声がかかって。
それすごいですよね。もともとラジオのヘビーリスナーだったわけではないんですよね。
そうだね。ラジオ自体はたまに聴いてたけど。ありがたい事に、不定期だったのが、2019年は毎月の出演になって。それをやり通した。それが終わって「もっと話したい!」って思いが生まれたことと、個人事業主として設備が整ったことが合わさって、「平日毎日配信」の「Youtubeラジオ」を始めることにした。
そこで、「平日毎日更新」にした理由って長利さんの中であるんですか?
2019年の最初に、自分の病気に関する検査のために、自分の髪の毛を全部剃るってことがあって。せっかくだから、1年間自分の髪が伸びる様子を毎日Instagramに投稿してた。そこから、「毎日何か続けることの楽しさ」に気づいたのも、その更新頻度にした理由の一つかな。スタンスとしては、「飽きたらやめればいい」ぐらいのゆるい感じでやっていて。
春休みの大学生なんて、ほとんど曜日感覚なくなっていきますけど、今日が土曜日ってことだけは「あ、ヨバナシ休みだから平日じゃないのか」って分かりますもん。
そっかそっか笑。聞いてくれてありがとう。それだけ更新頻度を高くしたことで、自分がどこまでできるんだろうっていう挑戦へのわくわくがまず生まれて。内容としては、「とりとめのない話をするラジオ」と銘打ったからこそ。あと、アーティストとしての自分は無愛想なイメージを抱かれやすかった。だけど、「そんなことはないし、等身大の長利和季はお話し好きです」っていうのを発信する場にもなってる。
ー学校に行けずに自室で勉強や読書をしていたあの頃から、自分がやってきたことに無駄はないと思えてる。
なるほど。でも確かにギャップは感じる人多いと思いますよ。「ヨバナシ」から入って曲単体としての「おやすみ」にたどり着いた人ってやっぱり面食らうと思いますし。今後、番組の展望としてはどういうものを思い描いてるんですか?
今やってることを基本として、ここからどう面白くしていこうかなってアイデアを付け足したいなと思ってる。自宅で収録してゲストを呼んでもみたいし。でも根幹は「続ける」ことがやりたいことかな。
なるほど。っていう中で新チャンネル「おさりさんちのちゃんねる」の構想はどれぐらいからあったんですか?
これは、最近までなくて、結構突発的だったかな。音楽活動ができないからこそ、音楽と、自分のパーソナルな部分は棲み分けた方がいいよなって感じた。友達の家みたいな、「おさりさんち」をのぞいているような感じにしたいって思いをチャンネル名に込めて、ラジオも引っ越しした。
長利さんの曲にもよく登場する自室ってモチーフの、ある種発展形にもなってますよね。
そうだね。学校に行けずに自室で勉強や読書をしていたあの頃から、自分がやってきたことに無駄はないと思えてる。そして、ツイキャスから始まったラジオ配信や、Instagramの更新を1年間続けて気付くことは本当にたくさんあった。あの自室から始まった、自分の活動を反映している名前だなと思うし。そして、それらの更新を通して、性格的にさらに明るくなったかな。見た目的にも笑。なにも自分に隠すものはないなというか。
教室の中、長い髪で人の目線を避けていた長利少年が...
そうそう笑。「なにも隠すものはないんだから、面白いことしよう!」って具体的な行動に向かう思いになった。音楽以外でも、自分自身をエンタメとして生きていたいっていう。
「長利和季総コンテンツ化計画」!
ー「ここまでの長利和季を踏まえて、これからどうなるか、一緒に考えない?」
まさにそう。学生の頃は自虐的に、自分への言い訳として自分を「喜劇」にしてた。音楽活動中の自分は、悲劇的な事実は隠して、エンターテイナーを演じてた。けれど今は、積極的に自分を肯定した上で、「喜劇」にすることを、自分から発信するエンターテイナーになることを目指してる。
カウンターじゃなくて、「俺の右ストレート」としての発信活動というか。
うん、話していて思った。やっと自分を丸ごと肯定できたんだと思う。音楽から離れて「自分ってなんだろう?」を問い直して自分の中に残ってるものが、「エンターテイナーでいたい」ってことだった。その気持ちで今は動いてる。
小学校から中学生になってだんだん性格が内向的になったタイミング、そしてまた2019年いろんな意味で人生がリセットされたタイミング、そして新チャンネル開設してアー写を新しくするタイミングで髪型が変わってるっていう...シナリオライターがいるとしか思えない...
誰かに動かされてんのかな笑...でも、これまで培ってきたものって無駄にならないな、と作曲とカウンセラー以外の活動をしていて思う。代表的なところで、ライブハウスでオリジナルフードを出したり、声楽をやっていたころに結婚式場でうたう仕事に携わってたんだけど、それを最近またやっていたりして。
3つのうち2つの道に挫折したようでいて(第3回参照)、形を変えて叶ってるのかもしれないですね。
そう、今までの勉強や経験は、何一つ無駄なく今の「長利和季」の肉付けになってる。これでリハビリの成果が出て、音楽もできるようになったら...ってワクワクをすごく感じてる。だからこそ、これを読んでくださってる皆様に言いたい、「ここまでの長利和季を踏まえて、これからどうなるか、一緒に考えない?」って。
結局全て今に活きている...これ以上ない伏線回収がなされている...そしてまさに「今」こうやってインタビューされていることこそが未来の伏線...とれ高バッチリです...笑
本当にありがとうございました!
こちらこそありがとうございました!
今回の記事を読んで、長利和季さんの今後の活動や、このインタビュー「表現者たちの伏線」を応援したいと思って頂けましたら、是非とも下記のサポートフォームより、ご支援頂けると幸いです。この記事に頂きましたサポートは全額、長利さんにお渡し致します。
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