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【新宿区】鎧神社近辺
娘の成長にしたがって、私の一存で自由にどこかに行くということもなかなか難しくなりました。ということで自転車で近所を散策(近所というわけでもないですが)
今回は新宿区の北新宿、鎧神社にいってまいりましたので、その周辺を見てみたいと思います。毎度のことながら予備知識はゼロです。
現代の地図
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地図をみてわかるとおり、中央線の北側と南側で区画整理のされている部分と区画整理がされておらず、下町的な雰囲気が残っている部分とがあります。
ごらんください、赤坂ばりに行き止まりが多いです。これは迷う。
こういった道ではなんとなくザワザワしちゃうんですよね。
部外者お断り、来ちゃいけないところに来ちゃったんじゃないかという感じ。
実際に鎧神社に行くまでに行き止まりに入ってしまい、家の前に立っていたおばあさんに
「ここ行き止まりだよ」
と声をかけられました。
「はい、神社に行きたかったんですけど」
「それじゃもう一本先の道だね。」
あらかじめ目的地を用意しておいてよかったです。
こういうときに子供がいると不審者感がぬぐえるから良いんですが…
アプリ大江戸今昔巡り 1860年頃の地図。
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周辺は柏木村といっていたようです。
柏木村の由来については諸説あって確かな事はわかりませんでした。
・柏木右衛門という地頭がいたことから周辺名づけられたのだとか。
・平忠常(母方祖父は平将門)を討った柏木右衛門がこの地に住居を構えていたのだとか。
・平将門討伐の為に藤原秀郷についてきた柏木右衛門が将門の菩提を弔ったのだとか。
地図では円照寺、鎧神社が見えます。
蛇足ですが、最近ようやく年号と西暦の覚え方ました。
明治元年 1868年
大正元年 1912年
昭和元年 1926年
平成元年 1989年
令和元年 2019年
年号をゴロ合わせにして荒唐無稽な事柄とくっつけて覚えます。
明治 68 ロバが街中を群をなしている図
大正 12 1をアでよんで兄貴 兄貴がいっぱいいる図
昭和 26 2をカ行としてカロリーメイトが山ほどある図
平成 89 白菜が山ほどある図
令和 19 ア読みしてアクマが攻めてきてる図
まあこれで忘れませんね
大江戸今昔巡りの地図は江戸時代の地図ということですが、年代的には1860年代前後で明治直前です。江戸時代といっても割合近い年代の地図。
明治元年からは154年、大正元年から100年経っています。
僕のおじいちゃんは明治生まれ。
僕が子供の頃にあずかってもらっていた個人運営の託児所のお父さんは大正生まれだといっていたのが記憶にあります。
年を取ってくるとそう昔の事じゃないんですね。
それでもって僕もあと数年で50歳か。
まだまだ若いつもりだけど時は流れるなぁ。奥さんには頭の中は小3くらいと言われています…まあ妥当な所ですね。
子供心が大切なのよ。現実ばかりみていたら見えない過去の地図なんて辿る意味なんてないじゃないですか(笑)
明治4,5年の地図
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江戸時代の地図ではお寺のほうが大きくかかれていましたが、明治になってからは鎧神社の表記とお寺のマークが。
神道を国の宗教とし民の統制を目論んでいくという廃仏毀釈の流れなのでしょう。
明治後期
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北側には水力電線というのがあって、西早稲田の配電所までつづいています。
そしてこの明治後期にはすでに中央線が通っていたのですな。
1889年 明治22年 甲武鉄道 新宿ー立川間開通
現在の東中野駅は当時は柏木駅。
この時期SLかと思いきや電車だったみたいですね。
菅原邸
華族かと思っていましたが、住所でしらべると菅原恒覧(つねみ)という人物で、鉄道技師で甲武鉄道の重役。業界ではかなり有名な方のようです。
やはり鉄道マン、鉄道を愛する故にロマンで路線沿いに家を建てたということでしょうか。なかなか線路沿いには普通は家を建てないですから、休日は家から電車が通る様子をみて楽しんでいたのかもしれません。
東中野駅(かしはぎ駅)からも近いから乗るのも楽でしょう。
斉藤邸
というお屋敷も現れました。
斉藤という華族は、226事件で暗殺された斎藤実(まこと)のみ
本宅は新宿若葉にあったのでこちらは別邸なのかな??それとも別な斉藤さんか。
この時代の地図をみると、中央線から北は民家がなく、だから後々の区画整理が容易だった様子が見てとれます。
そもそも神田川が曲がりくねっていて、水害も予想されるために宅地としては不向きな場所であったということなのでしょう。
大正時代
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蛇行しながらながれゆく神田川。
学校もできました。大正4年に淀橋第四小学校が開校。
合併消滅が多い都内の小学校で100年続いているのは珍しいです。
この後、関東大震災が起こります。
昭和初期戦前
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関東大震災後の後藤新平の復興計画で神田川が整備されたようすが見てとれます。当初の復興計画予算は国会予算の一年分というとんでもない金額。
あまり目立たない神田川のこの場所もビシーッと整備されたようです。
市場ができました。
淀橋市場のホームページにはこう書かれていました。
関東大震災以降、人口が急増した東京市の周辺区部や郡部の青果物供給拠点として、既設の民設13市場を統合し、昭和14(1939)年に淀橋区役所の隣に開設された青果市場です。
淀橋市場にも行ってみないと。午後は見学可能だそうで。
淀橋市場の北には戸山が原という表記があり、こちらも興味がわきました。江戸川乱歩の怪人二十面相の敵のアジトはもしかすると、こちらの戸山だったのかもしれません。
東京薬学校(のちの東京薬科大学)
1928年(昭和3年)豊多摩郡淀橋町柏木(現新宿区)に校舎を新築移転。1976年(昭和51年)八王子キャンパスに全学移転
戦後高度成長期前夜 1955~60年
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スカスカ感があるところは戦争で焼けている部分もあるのかとおもわれますが、わりと公共の施設が多いのだなという印象。
小さい家は戦後の住宅事情不足の為に建てられた住宅っぽく見えます。
バブル期
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面白いのが明治時代に発電所だった場所が、中野変電所になっています。
鉄道マンの鏡、菅原邸が身障者福祉センター診療所となっています。
さて今回訪問した鎧神社
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鎧神社の縁起
900年前後に円照寺が創建され、鬼門鎮護のために神社も創建。
たしかにお寺の鬼門(北東)に神社がある。
伝説としては
〇ヤマトタケルが東国平定のさいに甲冑をかくした。
〇平将門が藤原秀郷に討たれるとこの地の人々が将門の鎧を埋めた。
〇将門を討った後に病気になった藤原秀郷が、将門の鎧を埋めて霊を弔ったところ病が治った。
〇将門を討つときに中野のあたりで病に伏してしまった藤原秀郷が、この地にあった薬師如来像に祈ったところ、病気がなおり、将門討伐も果たしたので、あらためて円照寺とした。
と、いろいろ説があります。
都内で将門ゆかりといえば神田明神ですが、地図でみると神田明神から真西に線をずっーっと引っ張っていくと、この鎧神社にあたります。
将門を祀った場所を点として、線でつないでいくと北斗七星になり、その北斗七星のしっぽの部分がこの鎧神社なんだとか。
なかなか不思議ですね。
御朱印を500円でいただきました。
そしてこの神社では将門公を祀るとともに、菅原道真公も祀っています。
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こちらの狛犬も大きく立派です。
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こちらは円照寺 なんと写真家の篠山紀信さんのご実家、次男だそうです。まじかー 篠山紀信さんの息子さんとうちの奥さんは大学一緒でした(強引に縁をみつける手法汗)
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内部まで立ち入ることはしませんでした。
複雑な住宅地を歩いてたどり着いた場所は意外や意外、歴史が深い場所でもありました。
将門の北斗七星の話は今回で初めて知りましたので、後々行ってみたいです。
藤原秀郷は私の出身地の栃木県にもゆかりの深い人物なので、縁を感じました。