サンマを支えたカタールと希望の烽火~震災10年に思う(中)
宮城県女川町は国内有数のサンマの水揚げ地として知られています。小型漁船のサンマ漁は8月から11月。鮮魚で出荷するのは3割ほどで、残り7割は冷凍して出荷を待ちます。
東日本大震災で女川漁港も津波に襲われ、大型冷凍庫などの設備も一瞬で壊滅しました。窮地を救おうと立ち上がった人が、元外交官の岡本行夫さんです。支援基金「希望の烽火(のろし)」を設立し、大手企業から資金を集めて、漁期に間に合わせるために冷蔵用コンテナを沿岸部の漁港に次々と贈ったのです。
コンテナは女川町にも届き、サンマ漁に間に合いました。女川魚市場買受人協同組合の遠藤貢専務理事に当時のことを電話で伺うと、「本当に助かった。サンマが獲れても保管できなかったので、すぐ設置できるコンテナは役立ちました」と振り返っていました。
岡本さんとは2014年7月、名古屋市の中部経済同友会の講演会で22年ぶりにお会いしました。「転換期の国際情勢と日本のあり方」の講演の最後に、時間を割いてプロジェクトについて説明し、経営者に参加を呼びかけていたのが印象的でした。岡本さんが昨年4月に急逝されたときに、真っ先に希望の烽火のことを思い出しました。
もうひとつ、女川のサンマを助けたのは、液化天然ガス(LNG)の産出国のカタールでした。カタールの寄付で大型冷凍冷蔵施設が2012年10月に稼働しました。建物1階は津波の波力を最小限に抑えるため、外壁が外れて柱だけが残る設計です。3階には復旧支援室を設け、地域の人が一時的に避難できるように電気・ガスなどのインフラを備えています。
中部電力が事務局を務める日本・カタール友好協会などが仲介しました。女川町の復興の様子は、2016年に製作されたドキュメンタリー映画「サンマとカタール 女川つながる人々」(2016年)が伝えています。思い出すのは、その年の5月15日の名古屋市・名演小劇場での舞台挨拶です。映画をプロデュースした益田祐子美子・平成プロジェクト社長と乾弘明監督、日本・カタール友好協会の三田敏雄・中部電力会長(当時)の3人が、東北復興への思いを語りました。
中部電力は1997年、他の電力会社に先駆けて川越火力発電所(三重県)の燃料としてカタールのLNGを輸入しています。この縁で中部電力が日本・カタール友好協会の事務局を務めています。三田会長は「友好がもたらした支援。復旧に取り組む人々の力強さを、映画から感じ取っていただきたい」と現地と支援者にエールを送りました。
益田さんは、その後もドキュメンタリー映画「一陽来復 Life Goes On」(2018年)を製作しました。震災6年目に宮城、福島、岩手で10か月にわたって撮影した被災者たちの本音を追っています。3月には全国の主なCATVで放送されました。
一陽来復は「冬が去って、春が来ること」です。間もなく訪れる桜の季節を前に、サンマを通した多くの人のつながりが、希望の火となって伝わっていることを感じます。
(2021年3月12日)
※表紙写真は、映画「一陽来復」の場面から(平成プロジェクト提供)
※冷凍冷蔵施設の写真は、女川町役場提供
※下の写真は、女川町役場総務課秘書広報係の木村竹志係長が撮影した本日の光景です。ありがとうございました。
震災10年に思う(上)「東北に中古機械を送れ!」(2021年3月11日午後2時46分)、(下)「ディーゼル機関車DD51形引退」(2021年3月13日)も合わせてお読みいただければうれしいです。
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