母校創立150周年~校舎開放で飯田市追手町小を訪問
校舎のかたちが好きです。正面から見ると、旧警視庁の建物のように緩やかな弧を描いています。
長野県飯田市の追手町(おうてまち)小学校は今年、創立150周年を迎えました。1875年(明治8)に筑摩県の第30番小学校として、旧飯田城跡の追手町にあった旧飯田藩文武所を改造して開校しました。
私も通った現在の校舎は、1929年(昭和4)に完成した鉄筋コンクリート3階建て。93年の歴史を刻んできた校舎は、写真の通り洒落ています。
追手町小学校は記念事業として10月22、23の両日、卒業生や地域の人たちに校舎を開放しました。記録写真を見たり、在校中に縁がなかった校長室に入ったり、タイムスリップ感を味わうことができました。
■合唱日本一
講堂では合唱や独唱などのおもてなしもありました。合唱団は一般児童も加え、この日のために特別に編成したそうです。1956年(昭和31)年11月のNHK全国歌唱ラジオコンクールで日本一になっています。それ以降も数々の全国合唱コンクールで優秀な成績を収めてきました。
■廊下は伝統の拭き込み
廊下はピカピカでした。私たちのころも両膝をついて、廊下のからぶきをするのが伝統でした。「無言清掃」や、床にシミがつかないようにバケツの下に雑巾を敷くノウハウ。先生から「自分の顔が映るくらいに」といわれ、無心で磨いていたことを思い出します。
■新聞部での「誤報」
高学年のときの私の担任は児童文学者で、学校新聞部の顧問でした。私は新聞部員として、どんな記事を書いたらいいのか先生から助言をいただきました。「たとえば、避雷針にある球は『金』でできているといった話」。
早速、学校の生き字引である用務員さんを訪ねた覚えがあります。金色の球体は、18金でも純金でもありません。それでも、金色に輝いていましたから、たとえ話を疑いもせず、「追手町小の避雷針の球は金でできている」と書いてしまったようです。
先輩たちは1960年(昭和35)の学校新聞第1号で、中部日本学生新聞コンクール1位を受賞しています。それだけに避雷針を見るたびに、語るも恥ずかしい、大失敗を思い出しています。
■創立150周年記念誌
記念誌(1冊500円)ができていました。世代別の座談会もあり、時代ごとの教育の変遷がわかります。
1945年以前に生まれた世代の座談会では、クラスの名前が「仁・義・礼・智・信」だったそうです。戦時中は学校の屋上で風船爆弾の風船のノリ付けを女子児童が手伝わされていたことも知りました。
私の世代(1946~1960年生まれ)。運動会は、みな裸足で校庭に立つので、前日までに石拾いをしたこと。全校児童でやる大玉送りの迫力も語られていました。
最近の世代(1991~2000年生まれ)の座談会では、校舎見学のあとの感想で、「廊下は自分たちの時よりもきれいだ」と驚きも。追手町小の床掃除の伝統は、いまも生きていました。
(2022年10月27日)