甲子園深紅編○○○●~明暗
高校野球に限らず、アマチュアスポーツの取材では、敗者への気配りを忘れてはならないと自らに言い聞かせてきました。
1985年の第67回全国高等学校野球選手権大会には、明暗を分けるドラマがいっぱいありました。愛知・東邦高校は8月8日の初日、徳島代表の徳島商と対戦し早々に敗退。その後は各県のチームを取材し、8月21日の決勝戦までアルプススタンドを走り回りました。
決勝戦では山口・宇部商を担当。優勝すれば、監督とチームの横顔を全国版で紹介する大役を任されました。前日に宿舎で監督から話しを聞き、選手の自主的な判断を尊重していると感じて、「自主管理野球が花開く」という記事を描き始めていたのでした。
ところが、翌日あえなく打ち砕かれました。対戦相手は、3年生になった桑田・清原のKKコンビを擁するPL学園でしたから。
とにかく強いチームでした。取材した山形・東海大山形戦では、29対7で圧勝しています。のちに取材すると、山形県議会ではPL学園戦の大敗が取り上げられていました。山形国体を控えて、県のスポーツ強化策が動き始めたいたときでした。山形勢の夏の甲子園6年連続初戦敗退も重なって「政治問題化」したかのようでした。
さて、「野球王国・愛知」と呼ばれていた県勢も甲子園初戦敗退が続いていました。そこで翌1986年夏の県大会前に計8回の連載企画をまとめました。メンタルトレーニングなどの科学的な練習を取り入れた事例や、グランドの石拾いから始めている生まれたての野球部の熱気などを紹介しました。
強豪チームの監督からもアドバイスをいただきました。徳島・池田高校の蔦文也監督は「勝つにこしたことはないが、監督さんは勝負に固執しちゃいかん。愛知でも選手の個性をもっと引き出して、野球を楽しんでもらいたい」と言いました。同感でした。
第26回選抜高校野球の優勝校、長野・飯田長姫の投手光沢毅・日本高野連評議員は「愛知県勢は県大会で力を使い果たし、甲子園に乗り込んできたときに、はつらつさがない」と指摘し、シード校制度を提案しました。
さて、翌1986年夏の愛知代表は享栄。近藤真一投手を擁した優勝候補でした。ところが、チームの補欠選手の喫煙が写真週刊誌に出て、暗転します。享栄はあえて出場の道を選んだのですが、批判の目にさらされました。高知商との3回戦は僅差で敗れました。
翌年のドラフト会議で、近藤投手は中日ドラゴンズに1位指名されます。新人ながら巨人軍相手にノーヒット・ノーランを達成したときは、甲子園の高知商戦で6基の照明灯の下、左腕から繰り出した豪速球が目に浮かびました。
野球にも人生にも明暗はつきものです。
(2021年8月16日)
〈あと文〉4回にわたる高校野球をテーマにした連載です。1回目は平和を象徴する白球に思う「白色編」。2回目は日航機が緑深き御巣鷹山に墜落した夏のエピソードをまとめた「深緑編」。3回目は甲子園大会で深紅の優勝旗を目指した球児たちの明暗を見つめた「深紅編」。最後の4回目は、球児たちがそれぞれ旅立ち、人生のメダルを目指している「空色編」です。いずれも筆者の取材体験を盛り込んでいます。若きジャーナリストのみなさまの参考になれば幸いです。(表題の色は大辞泉カラーチャート色名より)