破天荒の陶芸家と常識という「釉薬」をかけた画廊経営者~鯉江良二追悼展から思うこと
名古屋・伏見の名古屋画廊から、今年8月に82歳で亡くなった陶芸家鯉江良二さんの追悼展(12月4日-12日)の案内をいただきました。会場を訪ねると、ひと抱えもある織部の塊(1991年、オリベ盤)が目に飛び込んできました。その横には整然と並べられた白い器の数々。
鯉江さんは愛知県常滑市で作陶を始め、設楽町に移住して国際的にも活躍した人でした。直接、取材したことはありませんが、作風や奥深い山のなかで破天荒な作品づくりに挑んでいたという印象が強かったので、凜とした作品群に出会い、やや意外でした。作歴や逸話を振り返る機会にしてみようと思いました。
名古屋画廊は鯉江さんが1974年に名古屋で初めての個展を開いた場所です。結婚式の仲人も画廊の創業者夫妻が務めました。子息で現経営者の中山真一さんによると、鯉江さんはTシャツ姿のまま式に出席したそうです。真一さんの母で、のちに画廊の経営を引き継いだ、とし子さんは、新婦側のことも考えるようにと叱責したそうです。鯉江さんが愛知県立教育大学の教官として赴くときの逸話があります。
鯉江さん「大学には、何を着ていくんだねぇ?」
とし子さん「そんなもん、背広着てネクタイしめて行くんだわ!」
追悼展の作品は、鯉江さんの人柄を知る画廊の個性が表れていると感じました。
新聞には毎日のように訃報が載ります。名前と肩書き、年齢、死亡した日、死因、告別式の日程、喪主です。著名人は1面に写真入り、社会面で知人の談話を織り込んで人となりを書きます。芸術家であれば文化面、経営者であれば経済面に、担当記者が「評伝」を書きます。
筆者も42年間の新聞記者生活の中で、何人もの評伝を書きました。12月16日の各紙にレモン果汁「ポッカレモン100」の出荷数量が最高を更新する見込みという記事があり、思い出しました。ポッカ(現ポッカサッポロ&ビバレッジ)創業者の2018年の追悼記事です。過去に本人から取材したことだけではなく、遺族や故人の部下の方からも話を聞き、記事にまとめました。新たに知ったこともありました。評伝はあくまで客観的に書きますが、会ったことがあれば、記者個人の思いもにじみ出るものです。
逆に会ったことのない故人の評伝を書くこともあります。締め切りが迫るなかで、大急ぎで関係者に当たります。珠玉の逸話に出会えれば、記事に厚みが出ます。生前の取材と瞬時の取材。訃報記事は、新聞社の人物データの蓄積や取材記者、デスクのニュース判断がためされています。
破天荒な作家、鯉江さんに日常生活の常識という「釉薬」をかけてきた、とし子さんも今年1月、94歳で他界されました。「画廊とともに60年 忘れえぬ10人の画家たち」(2007年刊行、風媒社)を残しています。
そろそろ新聞に今年亡くなった方々の墓碑銘が載る季節がやってきました。
(2020年12月21日)
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