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オート三輪とG1型 クルマの復元から伝わる創業時の思い

 エンジン音を響かせながら、ゆっくりと熱田神宮へ到着したのは、今ではほとんど見かけないオート三輪のトラックでした。
 ハンドルを握っていたのは、愛知県清須市の運輸会社専務の橋本憲佳さんで、助手席には社長で父親の正樹さんがいました。
 「62年前におじいちゃんが作った会社で運送を担っていた三輪トラックに乗って、創業当時の苦労や思いを感じたかった」と満足そうでした。
 橋本さんは同型のオート三輪を探し続け、7年越しに三重県伊勢市の「伊勢のりもの博物館」に眠っているのを見つけました。香川ダイハツが取り扱った1971年式のオート三輪(1860㏄)。博物館に依頼して、レストレーション(修復)のために全国から部品を取り寄せて当時の姿に再生させたのです。この日は伊勢神宮から熱田神宮まで約140キロメートルを走破しました。
 実はこの雄姿を撮影したのは、2019年6月22日でした。残念ながら紙面に載らなかったので、ずっと気になっていました。先ごろ橋本さんに電話をかけました。すると、「あのとき取材していただいた方ですね。声、覚えていますよ」と元気な声が返ってきました。
 取材したとき、橋本さんはお客さんから要望があれば三輪トラックで配送しますと張り切っていました。トヨタ博物館(愛知県長久手市)のクラシックカーフェスティバルにも参加して、人気投票で2位に入ったそうです。今はイベント中止が相次ぎ、出番がないと残念がっていました。
 復元走行で思い出しました。トヨタ自動車の前身、豊田自動織機製作所自動車部(当時)が1935年に純国産車として製造販売した第一号車「G1型」のボンネット型トラックです。1994年2月に先駆けて記事にしたあと、ついに5月に新緑を思わせる緑色のボディの復元車が報道公開されました。そろりと走り出しときの「おお、動いた」という驚きは今も忘れられません。
 G1型は、現存する車が1台もなく、幻のトラックと呼ばれていました。完全な設計図もなく、1枚の写真を手掛かりにして始まったプロジェクトでした。翌年、改めて取材に応じていただいたデザイン部主査やチーフエンジニは、「トヨタとしてのモノづくりの原点を考えたかった」(読売新聞1995年1月27日、『モノづくり創・造・作』第1部 夢をクルマに)と話していたのが印象的でした。
 おじいちゃんの三輪トラックを走らせたいという気持ちにも、夢をクルマにという思いがありました。「しっかり点検しないとトラックが壊れてしまうと、祖父からよく聞かされました」と橋本さんは懐かしみます。
 復元という手しごとは、創業の志を見つめなおすきっかけになるのかもしれません。
(2020年12月2日)

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