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元日の新聞記事にみる「一年の計」~地域版は昭和百年や万博、震災と多彩

 2025年を迎え、一般紙や専門紙には年頭の思いが込められていました。気になった記事(見出し)をまとめてみます。
■能登半島地震から1年
 各紙とも2024年元日の能登半島地震から1年を取り上げています。読売新聞は、被害が大きかった奥能登4市町で少なくとも4分の一にあたる計579事業所が廃業や休業状態となっていると報じています。
 能登の教訓を生かすため、民間所有の井戸を活用して「代替水源強化」へ向けて、愛知県が新年度予算に事業費を計上すると書いたのは中日新聞です。
 今後、現状報道だけではなく、各地域の防災対応の報道が増えてくることを期待しています。
■デジタルで民主主義をアップデート
 目に飛び込んだ記事の一つは、毎日新聞の1面。デジタルで問う「真の民意」です。24年の選挙では良いも悪いもSNSが話題となりました。毎日の企画「デモクラシーズ これまで これから 戦後80年」は、最新のデジタル技術を使ってカタチの見えない民意を探る動きを紹介しています。
 1回目はスタートアップ企業が構築した市民の意見を募るプラットフォーム。自治体が設定したテーマに対して、市民が意見やアイデアを投稿して、プラットフォーム上で議論したり、投票したりできる。自治体は、ネットで形成された「民意」に基づき施策を実行できるとのことです。
 私が以前取材した(株)PoliPoli(東京都千代田)は2018年から「世界各国で利用される、政治・行政と国民が政策を共創するためのプラットフォームをつくる」をビジョンに掲げています。
 数年前、名古屋大学が起業家を目指す学生向けにシンポジウムを開催したとき、PoliPoli代表者で名古屋の高校を卒業した伊藤和真氏の戦略を聞いたことがあります。正直、この事業に刮目させられたことを覚えています。 両社の社長は25歳前後。若い世代の柔らかな発想力と構想力に期待が持てる記事内容でした。
https://note.com/aratamakimihide/n/nd4befd3ec052
■地域版は多彩
 今年も読売新聞の都道府県ごとの年始企画を楽しみにしていました。私自身、岐阜支局の次席、支局長として毎年、企画に苦心していたので、各地域版の担当者にエールを送りながら読みました。
 一覧表でまとめています。昭和元年から数えて100年という節目で、戦後80年、原爆投下80年という歴史を刻んできた歴史を反映した記事など内容も盛りだくさんでした。
 大阪・関西万博が4月に開催されるため、大阪はもとより、奈良や京都の地域版でも扱っています。愛知、岐阜、三重の中部支社は2005年の愛・地球博(愛知万博)から20年ということで、振り返りながら大阪・関西万博へつなげていく企画です。
 各支局が力を注いだ年始企画のエッセンスをブックレットやデジタル版にすれば課題を県域を超えて共有できると思います。地域の課題は、いずれ国政の課題につながってくるからです。

読売新聞の各地域版一覧


■私の記事も日本農業新聞愛知版に
 うれしいことに日本農業新聞の元旦号「愛知版」に、私が取材した「環境調和型農業 幸せの循環」が掲載されました。デジタル版読者の方は、全国の地域版を読むことができます。
 取り上げたのは、JA愛知西のだいこん部会の「みどり認定」と、岡崎市の(有)小久井農場のJークレジットの活用です。Jークレジットは、国が温室効果ガス排出削減や吸収量を「クレジット」として認証する制度です。農業者は環境に配慮した農業によってクレジットを増やし、それを売却することで利益を得ることができる仕組みです。
■専門紙も特色出した企画
 日本農業新聞の1面は「残したい 日本の食と農」というインタビュー記事です。元日の初回は俳優の宮崎美子さん。NHKの連続テレビ小説「おむすび」でヒロインの祖母役で好演しています。
 「命育てる最先端の仕事」と宮崎さんは言います。2000年に中京テレビの情報番組「クスクス」でご一緒していましたが、今も変わらぬ若さの秘密は食を大切にしているからではないでしょうか。
◼️大学での弁論大会
 昨年は「令和の米騒動」といわれ、米の高値はいまも続いています。私が愛知版で取材した小久井農場の経営者には「値が上がった米価格がそのまま農家に入るわけではないですから」と釘をさされたことを思い出します。

東京農業大学で行われた農林大臣杯争奪弁論大会

 命育てる農業のため、消費者は農家とともに考える年にしたいものです。私が大学生の時、東京農業大学の農林水産大臣杯争奪弁論大会に出場。弁論の演題は「耕地なき人々の覚醒」。青き書生さんのような、肩ひじ張った演題ですが、平たく言えば消費者が農家を応援しようという内容です。
 そのときの熱弁の姿を写真で見ながら、いただいた賞が「日本農業新聞社賞」だったことに縁を感じています。
(2025年1月2日)