ヤクルト創始者、代田稔博士の業績を調べて~県人会誌「中京の信州人」から
名古屋市には北海道から沖縄まで38の県人会があります。出身者やゆかりのある人たちが集い、ふるさとの思いを語ったり、特産品を取り寄せたりして郷土愛を発揮しています。
名古屋長野県人会は、1897年(明治30年)創立の歴史のある県人会です。今年も年1回発行される会報誌「中京の信州人」(A4判、90頁)が届きました。筆者が担当した「我が郷里の名士」(連載19回目)で取り上げた人は、「乳酸菌 シロタ株」を発見したヤクルト創始者、代田稔博士(1899~1982年)です。
代田博士は現在の飯田市に生まれました。飯田中学、仙台第二高等学校(現東北大学)を経て、1921年に京都帝国大学(現在の京都大学)医学部へ入学しました。
20世紀初頭、日本では衛生環境や栄養状態の悪さからコレラや赤痢などの感染症で多くの人が命を落としていました。その状況に胸を痛めていた代田博士は、「病気にかかってから治療するのではなく、病気にかからないための『予防医学』こそ重要だという視点から、微生物研究の道に入った」とヤクルトの会社概要に紹介されています。
(写真はヤクルト本社提供)
代田博士は、同大学で講師、助教授として研究を続けるなかで、1930年に発見した乳酸菌に「乳酸菌 シロタ株」と名付けました。その後は販売組織の「代田保護菌普及会」をつくって健康作りに力を注ぎます。ヤクルト本社では社長、会長やヤクルト中央研究所長として研究と普及に努めました。ヤクルトの名前は、エスペラント語のヨーグルトを意味する「ヤフルト」から代田自身が名付けたといわれています。
さて、この記事を書くにあたり、飯田信用金庫(飯田市知久町)が運営するシンクタンク「しんきん南信州地域研究所」のリポートが、博士の人となりを知るのに役立ちました。リポートは「郷土の偉人 ヤクルト創始者 代田稔博士~乳酸菌 シロタ株の発見~」というタイトルで、2012年3月の「しんきんグローカル」に載っています。筆者の吉川芳夫さん(飯田市駄科)は2020年8月に他界されましたが、前年に話を伺っていたことがとても役立ちました。
研究や普及活動に多忙な代田稔でしたが、リポートには「故郷が好きで度々飯田を訪れていました」とありました。親類縁者や友人などを招いて懇親することを楽しみにしていたそうです。このなかに、飯田市出身の日本画家で、重要文化財に指定された「落葉」や「黒き猫」を描いた菱田春草(1874~1911年)の甥がいました。この縁で、代田博士は飯田文化会館大ホールに「落葉」を模写した緞帳を寄贈しています。ゆかりの人からの聞き取り、本人の貴重な色紙「健腸長寿」(腸を丈夫にして長生き)から人となりがしのばれます。
代田博士に限らず、郷土が育んだ偉人たちの功績を多様なメディアに残しておくことの必要性を痛感します。ふるさとを誇りに思える若い人が一人でも育ってくれたら、それも郷土への恩返しかもしれません。
(2021年1月12日)
※名古屋長野県人会は2021年1月30日に定時総会を開き、太田宏次会長が名誉会長となり、新会長に弁護士の宮嵜良一氏が就任しました。