ヒマワリで夢のスタートアップ 一宮市の花農家~荒玉note
この記事は2021年5月にnoteに提稿した記事です。マガジン「農政ジャーナル~長靴をはいた記者」にも収録されています。
鮮やかな黄色のヒマワリの季節がやってきました。ヒマワリといえば、炎の画家、ビンセント・バン・ゴッホの絵が思い出されます。
ヒマワリは夏の花と思いがちですが、露地栽培は5月上旬から収穫が始まり、11月下旬まで出荷されています。JA愛知西(愛知県一宮市)が、「父の日」(6月20日)を前に紹介してくれたヒマワリ農家の山田倫之(のりゆき)さんから伺いました。父の日はもとより、10月のハロウィンでも利用できる花だそうです。
山田さんは山ちゃんと呼ばれています。7年前、ヒマワリという地域ではだれも育てていない花で新規就業に挑みました。生まれた土地の地名「起」(おこし)にこだわり、「起・山ちゃんファーム」としました。起は、かつての美濃街道の宿場町で、いまも街道の風情を残しているそうです。
山ちゃんは、愛知県立稲沢高校の園芸科を卒業し、花農家になりたいとの思いがありました。ただ、実家は農家ではなく、まだ経験も浅いこともあり、ひとまず花に関係した仕事に就きました。
21歳の時に花農家への思いが断ち切れず、愛知県立農業大学校に入学して、花の栽培を本格的に学びます。修了したといっても初期投資の費用など新規参入のハードルは高く、キクの苗をつくる会社に入りました。
ただ、花関連の会社で働いていたときに、最近の葬儀は白菊だけでなく、洋花も使われていることに注目していました。そこで、地域でだれも栽培していないヒマワリを選び、「起業」に踏み出したのでした。
新たに農業を始める青年を支援する農林水産省の制度を活用して、営農の5カ年計画を提出し、県と一宮市の審査を受けました。これにより農地も借りやすくなりました。
山ちゃんは1か所15ヘクタールから始めて、7か所70ヘクタールに規模を広げてきました。将来は、花き市場の需要に合わせて、手持ちの品種を増やし、いずれ施設で一年を通して供給していきたいと意気込んでいます。
農産物など商品には、なにかしら物語があるものです。これまで取材してきた中で、「復興のヒマワリ」も、そのひとつでした。
2019年3月11日に名古屋市のJAあいちビルや新城市役所などにプランター計120鉢が飾られ、震災からの復興をアピールしていました。
このヒマワリは、1995年阪神大震災で亡くなった神戸市の少女の自宅跡地に咲いたヒマワリの種を受け継いだものです。その後、震災の記憶を伝えるシンボルとして東北の被災地で育てられるようになりました。
被災地の中学校から新城市内の中学校がヒマワリの種を譲り受けたことをきっかけに、JA愛知東が地元児童と一緒に栽培。JAあいちビルに飾られたヒマワリは、県立新城東高校園芸デザイン科の生徒たちが、3月に咲くように電照菊の施設を使って育てました。
ヒマワリの黄色は、イギリスでは「厄除け」として用いられていたそうです。最近は、父の日=黄色のイメージが定着し、ヒマワリの花を贈る習慣が広がっているようです。
山ちゃんの栽培品種は、ゴッホの名前をつけたビンセントシリーズ。柑橘類の文旦(ブンタン)のような黄色の「ポメロ」と、温州みかんのオレンジ色の「タンジェリン」が中心です。花の直径が10センチで、自宅でも飾りやすいサイズでした。ゴッホの絵もいいですが、本物のヒマワリにも物語があります。
(2021年5月29日)