全部カメラマンのせい。
できないことができるようになったり、
不慣れな物事に慣れていったり、ということに
私は時間がかかることが多い。
いろんな意味で不器用というのもあるし、
苦手意識が苦手意識を呼ぶというか、
「できない」と思うせいで余計に動けなくなって。
そのおかげで人にたくさん助けてもらえたり、
いいこともあるのだけど、
今回したいのはその話ではなくて。
あんなに「苦手!!無理!!」と思った
「写真を撮ってもらう」ということについて・・・
何事にもものすごく時間のかかる私が、
これに関しては、わりとあっさりと抜けて
「あ、大丈夫かも」と思えるタイミングが来て、
それどころか
「人生でいちばん幸せな瞬間かも」って
感じられるようになったのが、
不思議だなぁ、なんでだろう??と思って、
ちょっと考えてみたのです。
人との出会いに恵まれた、というのは
本当に大前提としてある。
もう一つ・・・
「これ、けっこう大きいな」と思ったのが、
タイトルの「全部カメラマンのせい」という話。
そもそも私が
撮ってもらうことに興味をもったのは、
当時、自分が友だちを撮らせてもらっていて
撮られる立場に一度立ってみるのも
勉強になるかな、と思ったから。
そして、それよりも前、
私に写真の撮り方を教えてくださった先生は
「全部、撮る側の責任だと思って撮れ」と
仰っていました。
それくらい、
目の前の人や背景をよく見て、
ファインダーの中の数字を意識して、
大切にシャッターを切る、ということ。
その教えをまっすぐに受け止めた私は、
自分が撮られる側に立ったときに、
苦手意識と緊張がありつつも
「全部、撮る側が責任をとってくれるんだよな」と、相手に委ねる気持ちになったのです。
かっこよく言えば
信頼する、ということになるけど、
身も蓋もない言い方をすれば
「全部、カメラマンのせいだからね」
「全部、私のせいじゃないもんね」
と、いう感じ。
これ、本当に私を軽くしてくれたと思う。
撮られるときに
プレッシャーを感じる・・・という方、
特に、普段から「自分のせい」と感じがちな方。
よかったら、この話を思い出してみてください。
「撮る」「撮られる」が
共同創造だというのも
私がとても大切にしていることですが、
それとはちょっと違う視点から、
「一旦、全部相手のせいにして、
投げ出しちゃうのもいいよ」という
おすすめでした。
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