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カザフスタン旅行記

2023年の9月、3週間ほどかけて中央アジアに位置する2カ国、カザフスタンとウズベキスタンを旅行した。両国ともよかったのだが、映えるウズベキスタンと違い、カザフスタンには写真だけでは伝わりにくい良さや感じたことがあったのでそれらをnoteにまとめる。


旅行先の選定

*海外旅行に興味ある人以外は次の章まで読み飛ばしてもらって構いません。

旅行に行くに伴い、なぜその2カ国に行くのか、行きたいのか、と嫌になるほど理由をよく聞かれた。海外旅行先の決定においては、予算、日程、時期・季節、自分の興味関心、旅行としての難易度(治安、言語、宗教、気候、アクセスの善し悪し)、緊急性(いま行く必要があるのか)、などといったたくさんの要素があると思う。緊急性という観点で優先される国というのは2種類あると考えていて、'発展途上国'と'情勢が不安定化しやすい国'だ。
発展途上国は先進国に比べ変化の速度が早いため、その時々でしか見られない、感じられない状態が相対的に多いと思う。裏を返せば、緊急性の点だけで見れば先進国は後回しでいい気がする。
また、情勢が不安定化しやすい国は、戦争や紛争、テロやデモによる治安の悪化、テロ組織による観光資源の破壊、更にいえば国家自体の消滅などが起こる可能性がある。なので、もしその国に行きたいのなら行けるうちに行っておいた方がいいと考えている。
その他としては、地震が多く起こる地域なども緊急度が高いといえる。地震による建物や景観の破壊が起こりえるからだ。

前置きが長くなったが、以上の要素をもとにウズベキスタンとカザフスタンを旅先に選んだ代表的な理由を列挙すると以下のよう。

・旧ソ連諸国に行きたい、という興味関心
・旧ソ連諸国の中では旅行の難易度が低い
・カザフスタン情勢を考慮した(2022年に反政府デモが起こり情勢が不安定化したが2023年の時点では安定化)
・ウズベキスタンの物価の安さ
・9月における中央アジアの気候



ここからがようやくカザフスタンの旅行記的な内容になる。

カザフスタン

黄色で囲ったふたつの都市を今回訪れた

カザフスタン共和国。面積は日本の約7倍で世界第9位。人口は1960万人。言語はカザフ語が国語、ロシア語が公用語。気候区分はステップ気候や冷帯湿潤気候といった大陸性の気候に分類される。各都市への移動中、寝台列車の窓に映る景色がまさにステップ気候と聞いて想像する景色そのもので、丈の短い草木がまばらに生えた壮大な大地がひたすらと続き、ときおり放牧されている家畜の牛、馬、ロバ、ラバが見られた(動画が載せられないので、車窓からの動画はインスタのハイライトから見てもらいたい)。車内に差し込む暖かい日差しを浴びながら車窓に映る景色をぼーっと眺めて、いつの間にか眠りに落ちる。それはもう贅沢な時間だった。

今回は南東部に位置する都市アルマトイと北部に位置する首都アスタナを訪れた。このふたつの都市間をつなぐ鉄道の総距離は約976kmで、東京大阪間の直線距離が約400kmであることを考えるとその遠さがわかる。しかもカザフスタンの寝台列車の移動速度はたかだか 40~50km/h 程度であり、移動に20時間弱を要した。その間、ほとんどの時間がネット圏外なので強制デジタルデトックスになる。3週間の旅行で7回寝台列車を利用したが、その全部で4人部屋のクーペに現地人3人グループと一緒にぶち込まれた。付け焼き刃のロシア語で、
「Я японец. Я студент.」
と軽く自己紹介すると、日本人の物珍しさにとても良くしてくれた。言葉が通じないかわりに全力で飲み食いすることに努めた。現地人と飲みニケーションを取るのは文化の違いを感じたりもできて、それはそれで楽しかった。死ぬほどウォッカを飲まされたりもしたけれど。

同室だった3人兄弟のカザフ人
日本のパスポートを珍しそうに見る鉄道職員
この後、色んな人の手にも回った。

ソ連時代の面影残る都市 アルマトイ

人口約189万人のカザフスタン最大の都市であり、文化・経済の中心。札幌とほぼ同緯度、かつ都心部の標高が約700~900mに位置するため、9月の気候は適度に涼しくてとても過ごしやすかった。当初カザフスタンに抱いていた乾燥地帯というイメージからは想像できないほど街には緑が溢れ、南方には天山山脈に属する冠雪した峰々を拝むことができ、風光明媚とはまさにこのことかと感じた。また、街の通りはしっかりと舗装が行き届き、碁盤目状に整然と並んでいることに国の豊かさが見て取れた。

アルマトイ市街
ゼンコフ教会

市内にはおそらくソヴィエト連邦時代に建てられたと思われる建築が多く見られた。特に印象に残ったのは、コンクリートなどの素材の質感がむき出しでやけに凹凸の多い独特な建築物たちだ。これらはブルータリズム建築と呼ばれるもので、1950年代、60年代に流行した建築様式らしい。見慣れない外観の建築が並ぶ街というのは歩いているだけで楽しいし、自分がいま異国、ひいては旧ソヴィエトの土地にいるんだなと心底実感できてとてもよかった。



未来都市 首都アスタナ(旧名ヌルスルタン)

1997年にアルマトイからアスタナ(当時はアクモラ)へと首都が移転された。それに伴い1998年にカザフスタン政府が開催した新首都設計国際コンペにおいて、日本人建築家の黒川紀章が優勝し同都市の設計を手掛けた。詳しくは 黒川紀章建築都市設計事務所HP より。
日本の北端である択捉島よりもさらに高緯度、かつ広大な平原の中心に位置するアスタナは代表的な大陸性気候を示す。アルマトイからの寝台列車で朝
5:20に駅に着いたが、そのときの気温は10℃を下回っており、半ズボンの僕はダウンをまとっている人たちから変な目で見られた。

ちなみにこの都市は名称変更が繰り返されており、

1830年~1961年:アクモリンスク
~1991年:ツェリノグラード
~1998年:アクモラ
~2019年3月:アスタナ
~2022年9月:ヌルスルタン
~現在:アスタナ

と非常にややこしい。実際、鉄道駅や空港の表記は統一されていなかった。

新市街には高層ビルや近代的な建築が多く立ち並び、アルマトイとはまた違った雰囲気を帯びていた。アスタナの特徴は、何といっても市内に存在するSF映画に出てきそうな近未来的な建築の数々で、それらが理由となってアスタナは未来都市と呼ばれている。この不思議な街を存分に体感するため、僕はこの街を一日で48km練り歩いた。その時の写真を紹介してこの旅行記を終える。



カザフスタン旅行記、完。

世界中の恵まれない子供たちを代表し、僕が責任もって、美味しいものを食べることに使わせて頂きます!