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もとひろの雑談#1:人生の振り返り〜「蛸壺からの脱却」が人を変える〜

こんにちは、今回のもとひろの雑談は「人生の振り返り」と題して「蛸壺からの脱却」が人を変える。というお題でお話をしたいと思います。2024年も終わりに近づきまた、節目の年でもあったということで1度自分の過去の棚卸しをしてみようかと思った次第です。 
今、ふと、我を振り返ってみると思う。
飲食店を転々として来たフリーターが、多くのアーティストを何故?サポートすることが出来たのか?数々のプロジェクトを進めていけることが出来たのか?ということにはいくつかのきっかけがあったのだと思います。

これらのきっかけで得たものとは「蛸壺からの脱却」ということだったのかと思います。
蛸壺とは、自分の居場所に立てこもって周囲と協力しないことを指していたり『広辞苑』を引くと「縦に深く掘った一人用の塹壕」という意味にも使われるみたいです。
要は自分の好き嫌いで物事を判断したり、行動してしまう。
自分の世界観でいようとすることですね。自分の好きなことばかりに偏り、他の世界を排除する。ということです。
 
飲食店を転々としフリーターとして過ごしていた先にはどんな未来が待っていたのだろうか?
「いつしか自分のお店を持ちたい」という夢でも描いていたかも知れないとおもいつつ、もしくは想像もつかないジャンルの職業についていたかも知れないと。
未来は誰にも予想がつかないことではありますが、気が付けば想像もつかないジャンルの音楽業界に身を委ねることになるとは本当に思いもしなかった。

だって、このような職種があること自体知らなかったのだから驚きでしかなかったです。まして、多くのアーティストをサポートするような立場や数々のプロジェクトに参画することになろうとは思いも知らず。これらの経験が私を「蛸壺からの脱却」をさせてくれたことなのではないかと思っています。


苦手な読書を進んでやるようになった

ある日、上司と昼食をとっているなかでいい本があるから「その本を読め」と半ば強制的に言われ、昼食後にそのまま本屋さんへ連れて行かされた。

そこで渡されたのが「ジャック・ウェルチわが経営 (上下)」巻だった。
半ば強制的ではあったのでてっきり買っていただけるのかと思っていただのですが、そんな素振りが露呈していたのか「書籍ぐらい自分で買いなさい」と一喝。

 この本は、ジャック・ウェルチ氏はGE(ゼネラル・エレクトリック)社のCEOを務め「伝説の経営者」と称された方なのですよね。
その方の経営哲学が記されている本だったのですが、私は、その内容より本編に入る前説というかプロローグの部分に強い衝撃というか?興味を抱いたことを覚えています。あまりにもカッコよく、神秘的な文章から始まるのですよね。

それからですかね。色々な書籍を読みようになったのです。
日本の偉人の経営者の方の書籍から洋書の和訳書籍、ブランディングという名の書籍やマーケティング、◯◯の習慣など気になるタイトルを見つけると「積読」というほどに読み漁っていました。

それにより「本からの学び」というか?物知りというか?雑学というのか?「本からの情報」が私に入って来てくるようになったのですよね。

 読書が苦手な私から進んで本を買い漁る行動へ変わった。
それが「蛸壺からの脱却」だったではないかと思います。一つの要素というのも今の自分を形成させてものだと思っています。

興味がなくても気になれば鑑賞しに行った

仕事柄といえばそうかも知れないですが、他者様のコンサートはもちろんですが、海外のミュージカル、演劇、ダンスショー、サーカルなど百聞(ひゃくぶん)は一見(いっけん)に如(し)かずという言葉がありましが、気になれば鑑賞に行っていましたね。

これには、2つの意味があって1つ目は、もちろん作品自体というか流れという構成、演出と美術というか装飾ですね。仕組みも含めてですが何か今後の参考にならないかという意識で伺っていましたね。

特に海外のミュージカルものは演出が特殊なものもあるのでとても参考になるのですよね。企画にしてもどの視点でこの企画が生まれたのか?など企画者側に立って読み解くことも大切だったのです。

 2つ目は、見に行くということは演者視線ではなく、観客という立場でものを見るということになるので、どこで何をどう感じたのかということが肌で体現出来るということです。つまりお客目線になれるということ。自分が感じたことを記憶に留め今後の参考にする情報集めってことでしょうかね。

 アーティストは、音楽という軸がありその派生でいろいろなことをおこなっていきます。その大きなものとしてコンサートがありますよね。そのコンサートも楽曲は変われども毎回同じものではお客さんも飽きてしますし、開催期間によっては新鮮さが薄れてしまいますのでそうならないためにも常に工夫をこなしていかなければいけないと思っていますので、
そのためには色々な情報を仕入れておく必要があるのです。

この義務的なことも自分の「蛸壺からの脱却」だったと思っています。

「知ったかぶりは禁物」知らないことはそのままにせず、知ることに努めた

「知ったかぶり」という言葉がありますよね。この「知ったかぶり」ということは私にとっては厳禁なことなのです。

 「知ったかぶり」とは、実際は知らないのに知っているようなふりをする。という意味ですが、私がもし「知ったかぶり」で知らないことやあやふやなことをアーティストに助言すればアーティストが間違った表現や発言をしてしまう恐れがあります。

そうなるとアーティストの価値を下げてしまう可能性がありますので、そのようなことは出来ないのです。では、「知らないことはやらない」ということになるわけですが、そうはいかないのですよね。

 アーティストの表現には色々な方法があります。
音楽はもちろんですが、コンサートもそうです。しかし、音楽以外のアーティストの特性をも活かして行かなくてはいけない場面も多々あり、その際に必要になってくるのですよね。

 例えば、通常のコンサートではなく、今回は落ち着いた感じのコンサートということを企画した場合、落ち着いたコンサートと言ってもアコースティックライヴという表現方法もありまし、アンプラグドという表現方法もしかり、オーケストラとのジョイントコンサートという表現方法もあります。

それらの意味やコラボするミュージシャンやオーケストラの業界内のポジショニングなど理解しておかなければいけないということです。そのためには通常の知識レベルで判断できるものではなく、知らないことを知ることが必要になってくるのですよね。

また、アーティストによってはファッションを軸に表現をしたいということであれば今のファッション業界の動向や歴史を知らなければいけない時もあります。ファストファッションがいいのか?オートクチュールと組むのがいいのか?などこれについてもファッション業界の流れや動向を知らなくては適切な判断ができなくなってしまいます。

結果、アーティストの価値、ブランドを傷つけてしまう可能性があるのでしっかりと「知らないことは知る。」ということを志していました。

 この「知らないことは知る。」という意味でも「蛸壺からの脱却」だったのですね。

街に溢れかえっている情報に敏感になった

このようことを繰り返して行くと隣の畑が気になってしまうようになって行き、日々の生活の中に習慣として入ってくるようになって行くのです。
今まで気にも留めていなかった風景が気になってくるようになるのですよね。それが、街に溢れかえっている「広告」という「情報」です。
 
広告とは、その時のトレンドなどを表していたりする「情報」でもあるわけです。また、その広告の表現方法に対しての意味を妄想含めて分析なのか分かりませんが、腹落ちをさせていました。
 
また、目についた広告などは、「なんで目についたのか?」「なんで立ち止まったのか?」など自身のとった行動をも考えて行きましたね。

常に提供者で物事を考えがちになってしまうのですが、このようなリアルな消費者体験をすることによってものを見る視点が変わっていくというか?提供者よがりにではなく受けての気持ちになれるというか?
 
仕事をしているときは何かにつけ提供者側になってしまっているのですが、
一歩外に出て仕事から離れるとそれは消費者になっているということになっていますよね。

仕事のスイッチが入ると消費者の立場を忘れてしまい、提供者側に固執してしまいがちですがその意識を変えるという意味でも街の情報に敏感になることが良かったのではないかと思っています。結局これも「蛸壺からの脱却」の行動なのかと思いますね。

頭の中の引き出しを持つ

頭の中に引き出しをもつとは、様々な体験と学びを通して「情報」が蓄積されて行きますのでそれを「収めておく場所」が必要になってくるのです。そのために頭の中に「棚」を作っておかなければいけないのですね。

 これを作っておかなければ引き出すことが出来ないので、単に「情報・経験を忘れてしまっている」という状態になっているわけです。

せっかく時間と労力をかけて蓄積された「情報(価値)」が無意味なものになってしまうということです。

 決して、蛸壺に入っていた時の「情報」が無意味ということではないのです。新しい情報だけが価値があると言いたいわけではありませんよ。
その時の情報も含めて棚に収めておかなければいけません。

 昔、転属されてきたスタッフがこう言って来たのです。
「何もわからない新人ですが、よろしくお願いします。」と
それを聞いた私は「過去を捨てるの」と戻したことがあります。

 その意味は、今まで経験して来たことも重要な「情報(価値)」なのです。
そのままでいれば「蛸壺の中にいるままの状態」その「情報」の視点を変え役立たせれば「蛸壺から脱却」が出来ると思っているのです。

 人は、時間と共に成長をして行きます。その成長も人それぞれだとは思いますが、成長とは「蛸壺」の中だけにとどまっていてはいけないのだろうということを学ばせていただいたのだと思っています。

「蛸壺から抜け出す」ことで成長でき、そしてこの抜け出すことでの過程が結果、アーティストの支援が出来ていたり、様々なプロジェクトの参画につながっていたのだと改めて思わせてくれたことでした。

 そして、最後になりますがこの「蛸壺から脱却する」とは、身の丈のことばかりをこなすのではなく、ちょっと踵(かかと)を上げたぐらいの背伸びしたものに焦点を合わせ挑戦する、挑むということが重要になってくるのだと思っています。

 自身ではなかなか奮起し出来ることではないのですが、私の場合は幸いにも上司からの難題・課題が常に投げられていました。

私は、それを達成させるためには「蛸壺から抜けなくてはいけない状況」に追い込まれていたのです。そして、そのために身についた術だったと思います。

 皆さんも、常日頃から多くの難題・課題に直面されているかと思いますが、
身の丈で発想や行動するのではなく、ちょっと踵(かかと)を上げたぐらいの背伸びした目的に標準を合わせ挑戦する。「挑む」ことで新たな自分が開花するのではないかと思います。

 2024年の終わりに自身の棚卸しが出来、そして、2025年に向けて新たな「目的」を持つことが出来ました。この新たな「目的」についても徐々にお伝えさせていただきたいと思っていますのでよろしくお願いします。

今1度自分を振り返ってみると、これからの歩み方の視点がまた違った側面から眺めることができるか知れませんね。

ここまでお読みいただきましてありがとうございます。



 

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