もとひろの雑談andもとひろの履歴書を始めます。
こんにちは、もとひろです。
今回は、「もとひろの雑談」and「もとひろの履歴書」という2つのテーマ増やして記事を書いていきたいと思っています。
もちろん「音楽の教科書」も変わりなくお伝えしていきますが、何故今回この2つのテーマで新たに記事を書こうと思ったかというと、「音楽の教科書」は継続的な音楽活動に必要なノウハウを伝えていくということで棲み分けようと思ったからです。
「音楽の教科書」は積み上げ型の内容になっているのですが、音楽活動を行うにあたり一つの「目的」を叶えるためにはその都度企画だったり、施策だったりという単発的なアイデアが必要になってくるのですよね。
それを「音楽の教科書」に書いてしまうと結構複雑になってしまう可能性があるのでそれを別のテーマとしてお伝えできればと思ったのですよね。
企画や施策的なアイデアを考える時って「主観的視点」ではなくて「客観的視点」が必要になってくるのです。今までの経験値以外の「視点」や「視野」を広げるということかも知れませんが、経験以外には、この辺りを解説してくれている書籍などなかなか無いのが現実。
そのため、私が今まで経験してきた事象やものの見方を題材にお伝えすることが出来ればわかりやすいのではないかと勝手に思い始めようと思ったのです。
「もとひろの雑談」や「もとひろの履歴書」ということで2つに分けた理由ですが、「もとひろの雑談」は世間で話題になっている音楽ネタをテーマに私の見解を絡めて仕組みなどを伝える、「もとひろの履歴書」は、私が今まで仕掛けて来た事象の経緯を伝えるということで、さらに棲み分けるためです。「なぜ?そう思ったのか?」「どうやって実施できたのか?」などの裏話的な話をしていきたいと思っていますが、その前に「阿部元博」とはについて軽く触れさせてください。
音楽業界に入りたくて切望したわけでは無い
私は、音楽が好きで、音楽業界に入りたくて、誰かをプロディースしたい、デビューさせたいと言う思いでこの音楽業界というエンタテイメント業界に参加したわけではなかったのです。
また、歌手に憧れてとか?バンドをしてメジャーを目指したいということもあったわけでもありません。どちらかと言うと正直、音楽には興味がなかったと言った方が正解なのかも知れません。
そんな私が、音楽業界に携わり、多くのアーティストのマネジメントや宣伝、コンサートプロモートから制作指揮をとろうなどとは思いもよらぬことだったと今でも思っています。
みなさんは、「じゃあ、なんで音楽に関わる仕事をしているの?」と思われるかと思いますので簡単に私の社会人としての経歴を少しお話をしたいと思います。
私は、特に目的もなく高校卒業に中華料理店に就職し一時料理人になろう。などと志したことはありましたが、これは単に高校生時代に中華屋さんでバイトをしていた流れで周りから高校卒業後どうするのだ。という圧に対処するという理由で「コックになる」と口走ったことがはじまりなのです。そんな動機では理想の料理人のイメージなど湧くわけもなく、若気のいたりで先輩の料理人と口喧嘩をして2年で卒業。
その後は、特定の企業というか会社には勤めることはなく、今でいうフリーターというバイト掛け持ち生活で自身のやりたいことを優先する生活。遊び保ける人生。
しかし、その中で"勤めたい"という場所が見つかり、そこへ行くためにある飲食企業へ就職。しかし、気がつけば系列店をたらい回しされる日々でいつになっても希望の店舗へ参加することができずにいたのですが、やっとその機会が訪れたのです。
そのお店とは、横浜の新山下埠頭に構える「YOKOHAMA BAY SAIDE CLUB」という外国ミュージシャンを招聘して生演奏でダンスを踊らせる形態のCLUBで、当時流行していたビリヤードバーを併設していた当時画期的なお店ではあったのですが、運営年数もかなり経ちリニューアルをするということであらたにスタッフの募集が必要だということで私に機会が回ってきたと言うことです。
しかし、リニューアルしたにも関わらず再出発した1年半後にやむなく閉店。その後は、1年ほど横浜でブラブラとあてのない日々を送りつつ不安な日々。
そんなときに、地元の友人から1本の電話が、、、、
「お前が以前勤めていたお店って借りられる?」という問い合わせがあったので何に使うかも聞かず「聞いてみる」と言うことで元の運営会社へ。
結果、閉店してから1年間手付かずのお店。現状のままでいいのであればいいですよ。という返事をもらいそれを友人へ戻した際に「今、何やっているの?」と尋ねられ、
「いや、なんもしてないよ。2000ピースのパズルをしている」と返すと「それなら手伝えよ」この「手伝えよ」というものがTK率いる「trf」のプロジェクトだったのです。
これを機に「音楽業界の世界」に足を踏み入れることになったのです。
まぁ〜要は仕事がなかった。何をやりたいかと言う目的もなく、時間だけが過ぎていたそんな日々から抜けられるのならという思いからの参画だったのです。
1992年10月1日からTKの運転手に始まり「trf」の現場のマネージャーを経て、大手メジャーレーベル業務及びアーティストマネジメントをCDバブル絶好調の時代、飛ぶ鳥を落とす勢いで音楽業界に旋風を巻き起こして来た怒涛の経験を12年間ほど体現させていただき、その後、独立!現在に至ります。
そんな素人まがいのものが「なぜ?」怒涛の音楽業界で生き抜いてこれたのか?ということを、今回の「もとひろの雑談」や「もとひろの履歴書」で少しでもお伝えできればと思っています。
*「もとひろの雑談」とは
もとひろの頭の中を覗こうというものです。
今まで大小はありますが多くのことを経験し学ばせていただきました。
コックから音楽業界に身を委ね、素人なからに怒涛の時代に第一線で活動したことで覚醒(成長)した考え方、視点・視野で物事をみる思考を事象を通してお話をしたいと思っています。
などなどジャンル問わす私見を述べていきたいと思っています。
*「もとひろの履歴書」とは
レーベル・マネジメントで経験した多くの事象を参考に「何故?そう考えたのか?」「どんな解決方法を行ったのか?」など裏話的なことをお伝えしたいと思っています。
などなどの実際に起こした事象を参考にお話ししていきたいと思いますが、過度な期待なしでお楽しみいただければと思います。ここまでお読みいただきありがとうございます。よろしくお願いしたします。